生きる基本

心の持ち方、つまり物事の見方考え方を変えるだけでも
苦が苦とならないことや解決することがはたくさんあります。
基本的には、自分より先に相手を守ろう助けようとする心持ちがあれば多くの問題が解決します。

「人を呪わば穴二つ」という故事があります。
人を憎んだり恨んだり責めたりすると相手も傷つくが自分にも害が及ぶと言うことです。
この言葉を裏返すと素晴らしい言葉になるのが分かります。
つまり、「人の幸せを願えば幸せ二つ」となります。
人の幸せを願えば相手も幸せになるが自分も幸せになると言うことです。
自分の幸せより人の幸せ、自分の立場より人の立場、自分を守るより先に相手を守れということです。
言い換えれば「お互い助け合って生きなさい」と言うことになります。

─これが人間として生きる基本なのです。─

でも、今の世の中を見るとそうはなってはいません。
みな先に自分を守ろうとします。
だからといって今の世の中を何とかしようと思っても何ともなりません。
でも、ひとつだけ何とかなるものがあります。

─それは自分の心です。─

自分の心だけは自分のものです。これなら何とかなります。
自分の心を良くするように生きていけば良いのです。
世の中全体を変えようとするのではなく、まずは自分の心から変えていけば良いのです。
そして自分の心が変わったら人々の心を変えていけば良いのです。

自分の心が人間として正しい心持ちでないと、人のためと思っても人のためにならないです。
それどころか自他共に苦しんでしまうことになります。
私も過去にはそのような道をたどってきました。
でも、今はもうそのようなことはありません。
過去がどうであれ、これからが良くなれば良いということです。
過去にこだわってはならないということです。

人のためとは何かが分かったとき、言い換えれば人間として正しい心持ちとは
何かが分かったとき苦が無くなります。
そして、すべての人の心が人間として正しい心持ちになったとき、不幸という言葉はなくなるわけです。

私は平成11年に次の言葉を見いだしています。

─自分のために生きるな、他のために生きろ ただし自分の健康は自分で守れ そして楽しく生きろ─

「自分ために生きるな、他のために生きろ」とは、先ほど説明した通りです。
他は普通、人となりますが人のためにだけ生きていたのでは自然を守ることが出来ません。
従って他すなわちすべてを守って生きなさいということです。
言い換えれば万物に対する「愛」をもって生きなさいと言うことです。
愛という言葉はよく使われますが本当の意味で使っている人は少ないです。
ほとんどが自分を中心とした愛です。本当の愛ではありません。仏教で言う渇愛となります。
愛の反対は無関心と言った方がおられますが、
愛の反対は無関心ではなく自分のために生きることつまり自己中心のことを言います。
自己中心は人を守れるどころか人を傷つけてしまうこともあります。
まだ無関心の方がましです。そして人のためなら無関心である必要の時もあります。
また、愛の鞭という言葉もあります。

「自分の健康は自分で守れ」とは
今の世の中、ほとんどの人が相手を守るより先に自分を守ろうとします。
このような世の中で人を守ろうとすると、どうしても自分を犠牲にしなければいけないことも出てきます。
その中で自分の健康を害するようなことも当然出てきます。
この場合は自分の健康は自分で守らなければいけません。
自分が健康であるからこそ人のために生きられるのです。
自分が健康でなかったら人のために生きるどころかその逆となってしまいます。
自分の健康を害されるようなことは避けなさい防御しなさいということです。
しかし、そうすることにより自分の精神力が鍛えられるならば一時的に健康を害することはあるかも知れません。
それは避けられないことです。
過去には私もそうしてきました。
皆同じ道を歩んで精進すると言うことです。
今が駄目なら次をよくすれば良いということです。
だが、たとえそうであったとしても欲に任せて暴飲暴食するようなことは論外です。
あくまでも自分自身は常に健康に気を付けることです。
外から掛かってくる負荷に対処しなさいということです。

「楽しく生きろ」とは
天理教で言う「陽気暮らし」と同じ意味です。
これは天理教を信じなさいという意味ではありません。
たとえとして良いものですので引用しただけです。
人間として正しい心持ちになるきっかけとして一時的に宗教にすがることもありますが、
最終的には宗教から脱却しないと人間として正しい心持ちを悟ることは出来ません。
どんなに苦しいことであっても、考え方を変えれば苦とならないことはたくさんあります。
そのときは苦であっても後々幸せの礎となることもあります。
苦をプラスに考えれば自分を良くし強くします。そしてそれは人のため他のためにつながって行きます。
苦にも感謝です。
そして、人間として正しい心持ちになったとき苦はなくなるのです。

自分に利益があることや好むことだけに、またそうしてくれる人に対して感謝することは誰でも出来ます。
何事にも感謝すること、嫌なことにも感謝すること、そのためには万事プラス思考することです。
そして、何事にも感謝することが人間としての本当の幸福感なのです。
逆に言えば、何事にも感謝できる心がなければ本当の幸福感は得られません。
今あるあなたの苦は、あなたを強くし大きくするためにあるのです。
嫌なこと辛いことから逃げてもいつまでも追ってきます。
嫌なこと辛いことは、あなたを強く大きくする心の糧(かて:栄養)なのです。

天理教の創始者 中山みき の言葉に
「くせ、性分をなくしなされや 人の幸せを願いなされや」という言葉があります。
「くせ、性分をなくしなされや」とは自分の悪いところをなくしなさいと言うことです。
逆に言えば自分を良くしなさいと言うことです。
「人の幸せを願いなされや」とは先ほど説明した通りです。
結局、誰もが最終的に悟りえる生きる基本は同じだと言うことです。
あとはこれを具体的にどうして行けば良いかと言うことです。
これはその人がこの世に生まれてきた役目役割によって異なってきます。
これ以上は自分自身が悟ることです。

─以上、共感頂ければ “波動合わせ”のページをお読み下さい。─