波動合わせ

■Part0,1,2,3
Part4[心]を読むための予備知識として、そしてこの世のおおよその理屈を知るためのものです。
ホームページを見ることができない方のために小冊子もご用意しております。ご希望の方には差し上げます。

 


 

Part0[概要]

 

当然のようにあるこの宇宙そしてこの地球、当然のようにある自然そして自分たち。しかも、それらが自然に出来たかのように錯覚している私たち地球人。
 一体、私たちは何故この地球に居るのでしょうか? どこから来たのでしょうか? あるいは誰かに創られたのでしょうか? 何も知らないまま、毎日を漠然と過ごす私たち。

 この宇宙には私たち地球人しか居ないのでしょうか?

 答えを先に言ってしまえば、この宇宙には地球人以外に多くの宇宙人が存在しています。しかも、地球人と違い何の災いもなく日々安堵に満ちた生活を送っています。そのような宇宙人から見れば、この地球は非常に特殊な場となります。争いや事故や犯罪や病気があるのはこの地球だけなのです。

 何がために私たちは、この地球のこの世に生きているのでしょうか? また、争いや事故や犯罪や病気を無くすにはどうしたらよいのでしょうか?

 答えは簡単です。この世に起きる全ての問題は、自己保存の考えをなくすことにより解決します。つまり自分のために生きるのではなく他のために生きようとするならば、言い換えれば、お互い助け合って生きようとするならば、何一つ災いは起こらなくなります。しかし、それでは醜い心を温存してしまうことになります。ならば「逆をしましょう。」ということで作られたのがこの世なのです。そしてそれがためにこの世は台本通りに動いているのです。
 アガスティアの葉やノストラダムスやジュセリーノの予言などが図らずも的中するのは、この世が台本通りに動いているからなのです。
 そして、その台本の筋書きは、あなたがこの世に生まれてくる前に自分自身で納得して書いたものです。しかし、その筋書きには分岐点があります。その分岐点をどちらに進むかによって台本がすり替えられます。
 特に2015年のアセンションを機に地球の波動が大きく変化して、筋書きの本筋となるところは替わりませんが枝葉となるところは目まぐるしく変化します。台本のすり替えも激しくなってきます。当然予言が当たる確立も小さくなってきます。 2015年に筋書きとして何らかの変化が起きるかも知れませんが、すぐさま滅亡するということではありません。しかし、様々な予言書に共通してある通り、もう数十年で現代文明は滅亡します。
 滅亡と聞くと恐怖を抱かれるかも知れませんが、滅亡こそが次の創造の始まりなのです。今までに地球の文明は3回誕生し滅亡しています。現代文明は4回目なのです。そしてこの文明もまもなく滅亡し、次に新たな文明が生まれることになります。そして、次の文明こそが戦争や病気など全く苦しみのない、すべての心が幸せとなる文明になるのです。

 しかし、2015年に起こる波動の変化に地球人の心のレベルがついていかないと、その生き様は明暗としてハッキリ区別されることになります。波動のレベルの変化に心がついていく者は、その恩恵を受けることになり、いかなる難関も切り抜けることができます。
 自分を良くし他のために生きようとする者こそが現代文明を最後まで生き抜き、来世も人間として生きる心となれるわけです。そしてさらに、現代文明を最後まで生き抜いたものは、第二のノアの方舟により全員救われることになります。

 このホームページはそのような方々のために書かれたものです。

 波動合わせPart3まではどなたが読まれても害あるものではありません。むしろ逆境に立たされている方々には勇気を与えるものとなります。しかし、Part4からは人間としての正しい心持ちが何かを理解できない方には、困惑したり恐怖を覚えたりするものとなりかねません。
 逆に、来世も人間として生きようと思われる方は、いつかは必ず読んで頂かねばなりません。その時期は筋書きで決められていますが、それはその方の分岐点でもあります。
 「いや、わたしはそんなもの読まなくても人間としての正しい心持ちは理解できる。」と言われるならばその必要はありません。そのような方は自らがお釈迦様やイエスキリストのような心持ちとなれる方ですから。

 さて、このような書き方をすると、何か怪しげな宗教のように捉える方もおられるかも知れません。そこで、宗教について、ここで少し述べさせていただきます。詳しいことについては各Partで少しずつ触れていきますが、皆様方が宗教の犠牲にならないように、先に申し上げておきたいと思います。現在何らかの宗教に関係しておられる方には、失礼になるかも知れません。お許し下さい。

 結論から言いますと、最終的には宗教は必要ないものです。神は人間に何を求めているのかというと、神と同じ心持ちになりなさいと言っています。宗教のように神様仏様と崇め立てていたのではいつまで経っても神と同等の心になることは出来ません。もし、あなたが何らかの宗教を信仰していて来世も人間として生きようと思われるならば、必ず何処かでその宗教から脱却して下さい。

 宗教の言っていることには確かに一理ありますが、矛盾することもまたあります。それは神の言っていることを理解出来ていなかったり、自分の都合良いように解釈したり、偽りの天の声に惑わされたりするからです。
 偽りの天の声は、その人の心のスキをどんどんついてきます。天の声と言っても、これはおかしいと思うものは、否定しなければいけません。天の声とはあくまでも各自についている守護霊の声です。

 既に何らかの宗教に関って傷つけられた方があるかと思いますが、そのことを悔やんだり、相手を憎んだり、恨んだり、責めたりしないで下さい。それよりも自分にスキがあったわけですから、それを戒めて下さい。嫌なことでもプラスに考えて生きるならば、それがきっかけとなり、きっと良い方向へ向かっていきます。

 話を元に戻します。近い将来やってくる多くの惨事を防ぎあるいは乗り越えるためには、心のレベルを上げる必要があります。それは人間としての正しい心持ちとは何かを知ることでもあります。でも、人間として正しい心持ちとは何かと聞かれても容易に答えられるものではありません。私とてその答えを出すに至るまでには様々な苦労を乗り越えてきました。人生のどん底にも落ちました。「艱難(苦労)汝を玉にす。」を座右の銘として耐えに耐えやってきました。その結果得られた答えをPart4[心]に書き記したわけです。でも、皆様方はそこまでして頂かなくてもPart4を読んで頂くだけで人間として正しい心持ちとは何かを知ることができます。後はそれを自分のものとなるようにすればよいだけです。
 Part4を読み自分の心をレベルアップすれば、分岐点に差し掛かったとき良い意味で災いの少ない道を選ぶことが出来ます。筋書きとしてではありますが未来を変えることが出来るのです。そしてそれは自分だけでなく、あなたの周りの者も災いから救うことにもなります。言い換えれば、陰の救世主とも言えます。来世も人間として生きられる方はすべてが陰の救世主なのです。

 地球人には「事が起こらないことには改めようとしない。」という性(さが)があります。それは自らが苦を欲していることになります。ならば、事が起きてから気がついたほうが良いことになります。そのほうが良いと思われるならばそうしたらよいでしょう。でも、災いを未然に防ぐにこしたことはありません。そしてそれが人間として正しい心持ちのひとつでもあります。
 災いを未然に防ぐと言うことは、誰が災いを防いだのか分からないということになります。救世主は「かげのちから」的存在ということになります。ただし、その「ちから」を良い意味で人々に誇示しなければならないときは、嫌でも表に引っ張り出されることもあります。

 先ほども言いましたが、本当の救世主というのは、事が起き始めるまでにそのことに気が付き、事前に災いが降りかからないよう、たとえ降りかかってきても容易に払いのけることができるよう対処しておくことができるものです。

 事が起きてから立ち上がり人々を先導する方もおられますが、そのような方は救世主とは言いません。筋書きの立役者と言うことはできます。(偽りの救世主とも言えます。) 救世主はあくまでも「かげのちから」としてお手伝いするだけです。
 いずれにしろ、現代文明を最後まで生き抜くには人間として正しい心持ちを理解しなければなりません。そのためにPart4[心]を読んで頂くことを願うわけです。事が起きてから読んでいたのでは手遅れとなることをご理解下さい。

 事が起き始めると、先程述べた“偽りの救世主”が登場し、ヒーローとしてこの世を導くことになります。しかし、来世も人間として生きる者は偽りの救世主に惑わされることはありません。
 多くの人々はこのヒーローの登場を歓迎し、救世主として崇めることになります。が、これは 現代文明の破滅に一層の拍車を掛けることになり、さらなる悲劇を生み出します。また、地球人を二分化する一大要素ともなります。でも、このことはこの世を最後まで生き残る者にとってはかえって好都合となります。見て見ぬ振りをしなければいけないので辛いこととなるかも知れませんが、そうすることが醜いこの世を一挙に終わらせ、次なる創造につなげる最善の方法なのです。

 注意して欲しいのは、偽りの救世主に惑わされる者は駄目だということではありません。それはそのほうが来世は幸せになれるということです。問題はそのような悲劇に対して如何に目をつぶっていられるかということです。換言すれば『色即是空』です。(色即是空を知るためには、まず人間として正しい心持ちとは何かを追求して下さい。その結果得られるものです。)

 Part4の内容は、様々な経典に書かれていることと重複することもあります。でも、一般人には(私も含めてですが)現代文で書かれていないものは読むことすら難しいです。ましてその意味を理解しようとすると尚更困難です。現代文に訳されたものを読んだとしても、いまいちその意味を理解することはできません。
 ひとつ例に取ると般若心経という経典には「宇宙は無である。」という謎解きがされています。この謎解きできますか? また、ここに出てくる「色即是空」という本当の意味が分かりますか? ハッキリ言って誰も分かっていません。失礼なことを言いますが、本当に分かっておられるならば、お坊さんはあのような装束に身を包まないでしょう。坊主頭にはしないでしょう。
 Part4は、それらに書かれていることに対してもさらに奥深く論理的科学的に分かりやすく解説しています。

 般若心経については、Part4の原稿を書き終えた時点で、ある方からその意味の概ねを教えてもらいました。(私に般若心経の意味を教えて下さった方はその本当の意味を知っていたわけではありません。現代訳した文を丸暗記していただけです。)
 それまでは色即是空の言葉は知っていましたが般若心経に出てくる言葉とは知りませんでした。また、いつの時代を起源とするのか分からない経典に宇宙は無であることがすでに書かれていることには驚かされました。般若心経に限らずこの世の筋書きの始まりには、今ここに私が記さなくても、宇宙の謎や人間としての正しい心持ち、そしてこの世の最初から最後までの記録つまり預言書と言われるものは、すでに存在していたのです。それが言い伝えられあるいは書き写されたものが今も聖書や経文などの形で残っているわけです。日本にも日月神示という現代文明崩壊のシナリオを書いた予言書があります。これは私がこの世に生まれてくる前に啓示しておいたものです。従ってその内容は、Part4[心]とよく似ています。(ブログで紹介してあります。Part4[心]の原稿は平成18年に書き終えています。日月神示を知ったのは平成21年です。)

 般若心経など、お経をあげるという行為は、その意味が分かっていなくても言霊(ことだま)という言葉があるように、唱えることにより何らかの波動が発せられます。その波動には、純粋にその経本に含まれている波動と、お経をあげる方の心の波動の両方が含まれます。純粋にその経本に含まれている波動は問題ないとしても、その人の心が発する波動は何が為にお経をあげるかによって良き力ともなるし悪き力ともなるし無駄にもなります。失礼なことを言いますが、大半はお経をあげて御利益を期待するという煩悩を吐いていることがほとんどと言えます。形式的にお経をあげるのも煩悩の放出です。 Part5[時間と空間]が2015年以降になる理由について説明しておきます。

 現時点において、私の顕在意識においては、時間と空間の原理は概ね理解できています。(潜在意識は何もかも知っています。)時間については、アメリカの予言者エドガー・ケイシー(Edgar Cayce, 1877年3月18日 - 1945年1月3日)が少し述べています。その概念は確かにこの方の述べる通りです。確かにその通りなのですが、地球人が解釈している時間の概念からは余りにもかけ離れていますので、このことを聞いて理解できる方はまずおられないと思います。科学者的立場に立っておられる方ほど固定観念が強いので、本当の時間の概念を理解するのは科学者ほど難しくなります。
 エドガー・ケイシーの予言は催眠状態において行われるものです。これはこの方が覚醒していないため、このようなことを上からのテレパシーで伝達することが困難がために行われることです。

 話がそれましたが、私とてそのことを理解できていても皆様方が理解できるように説明するには、今の私の能力・体力では難しいことです。
 今、私はある病気(小冊子「煩悩のあいうえお」「プラス思考」「霊障」参照)のために本来の能力を発揮することができません。また、体力もありません。このような文章を書くだけでも疲労困憊しています。人間としての正しい心持ちを理解できた現在、精神的な苦はありませんが、この病気がための肉体的苦痛はまだあります。
 「今、私はある病気のために本来の能力を発揮することができません。」と書きましたが、これをプラス思考すれば、「今は本来の能力を発揮してはならない。」と言うことになります。「良い結果を出すには今は自分の力を出してはいけない。今は耐え忍ぶときだ。」と言うことです。一言で言えば「和光同塵」となります。(和光同塵についてはPart4[心]語録のところで説明してあります。)
 また、今ある不運は不運ではなく、次ある幸運のための礎とも言えます。他に「一病息災」と言うこともできます。 苦がないと心は成長しません。私の潜在意識つまり本質の心は完璧ですので、潜在意識にある心を成長させることは不要です。でも、顕在意識にある筋書き上のダミーの心を成長させることは必要です。潜在能力でこの世を乗り切るのではなく、顕在能力でこの世を乗り切るということです。言い換えれば、私においてはこの世では潜在能力を出してはならないということです。従って、今ある肉体的苦痛は、顕在意識にあるダミーの心を成長さすために必要なわけなのです。
 今ある肉体的苦痛がなくなった時、つまり病気を克服できた時、私の顕在能力は本来のものとなります。しかし、そこまで到達するには幾多の段階を踏まなければいけません。いきなり克服できるというものではありません。Part5は、その段階の途中で書き上げることになりますが、今はアセンションにより地球の波動が変わる2015年以降としか言えません。そして、その頃になれば、私の顕在意識には新たな真実が浮き彫りにされており、そのことも書き加えることができるでしょう。

 以上、駆け足で説明しましたので意味のよく分からないところが多々あったかと思います。Part4[心]まで読まれると、その意味は分かってきます。


 

Part1[ハンドスキャン]

(1)
  私は平成4年からカイロプラクティックと波動を合わせた整体の仕事をしていました。
(その理論については、波動合わせ療法をお読み下さい。)

 そのテクニックの中で、「その人の何処に異常があるのか、どんな食べ物が合っているのか、どんなものを持てば良いのかなどをチェックする方法を身につけ、皆様のお役に立てています。
 これには二つ方法があります。一つはカイロプラクティックで行う筋肉反射テストを応用する方法で、Oリングテストより明確な答えを出します。もう一つはフーチセンサを利用した方法です。
 何れも機械に頼らず、人間自身の波動<気>を利用して行います。この方法により自分や他の方の生活習慣から食事指導・栄養療法などあらゆる改善を無駄なく行うことができます。

 筋力反射テストは本来どの内臓に異常があるのか判断するものですが、これを応用するとその人に関してありとあらゆることが判断できます。たとえば片手(利き手でない側がよい)に何かを持ってもらい、もう一方の腕の力を診ることによってそれがその人に合っているかどうかがわかります。波動がプラスになるものを持つとその人の筋力はアップし、マイナスになるものを持つと筋力はダウンします。かなりはっきりでますので初めての方はびっくりされます。Oリングテストも実際はその人の筋力を診ているだけですので、なにも人さし指と親指でOリングを作らなくても腕などのやり易いところでその人の筋力を診ればよいのです。
 この方法で体の異常を見つけるには専門的な知識が必要ですのでここでは説明を省きます。ご関心のある方は波動合わせ療法をお読み下さい。

 フーチセンサーは、水脈をさがすときに使われるダウジングと原理は同じで、手に持った振り子を回したり振らしたりしてその動きにより答えを出す方法です。無意識であるならば身体が動いて振り子が回っても構いません。パワーが上がってくると人の持っている振り子を振らすことも出来ます。 筋肉反射テストにしろフーチセンサーにしろ正確な答えを出すには私利私欲、感情を無くすこと(無心)です。

(2)
 どんな物質でもその物質特有の波動が出ています。私の場合は常にその波動が健康に良いものか悪いものかとという観点で見ているし、そういう訓練をしていますので自分の健康にプラスになるものを見たときは気持ち良い波動を感じます。そうでないものはいやな感じがします。良い波動を感じるものはフーチセンサーで確認すると必ず右に回ります。私の場合は右回りがYes、左回りがNoと決めています。Yes、Noで単純に決められない内容だと回らなかったり縦あるいは横に振れます。この場合は全く別の方法で答えを聞くことが出来ます。Part3[テレパシー]で紹介します。

(3)
 人の身体も波動で見ることにより、その人の悪いところを見ることが出来ます。人間の手のひらは特に波動を強く感じたり出したりすることが出来ます。私の場合は人の身体の悪い個所を見つけるのにこの方法をよく使います。この方法をハンドスキャンと呼んでいます。悪いところはいやな感じがします。相手が言わなくても悪いところに手が行くのでびっくりされることがあります。この場合、目で波動をキャッチしても出来ますがわかりにくいときや、身体の奥深い所まで見る場合はこのハンドスキャンが有効です。このハンドスキャンとフーチセンサーを同時に使うことも出来ます。片方の手でハンドスキャンしながらもう片方の手でフーチセンサを回してハンドスキャンで得た波動のチェックが出来ます。ここで注意して欲しいのは目でも波動をキャッチしていますので、確実にやるためには出来るだけそのものを見ながらやることです。
 私の場合、今食べても良いものは何かとか買い物に行ったとき何を買えば良いのか確実に選べるので便利です。外出しているときは携帯電話をフーチセンサーとして使用するときもあります。電磁波の影響を受けると思う人は電源を切って下さい。フーチセンサーを信じきれば電磁波の影響を受けることはありません。何事も半信半疑では良い結果は得られません。信じきることです。
 以前TVを見ていましたら手のひらで波動をキャッチして目隠しで色を見分けたり、文字を読んでいましたが原理的には同じです。どの波動をキャッチするかまたはその波動の何を読み取るかの違いだけです。人間にはこういう能力があるのだということを証明していただけるのでありがたいことです。色や文字を判断することは難しいことですが、身体の悪いところを判断するのは人を良くしたいという気持ちがあれば誰でも出来ます。

(4)
 人の身体からは良い波動も悪い波動も出ています。波動を利用して人の身体を治療するには私の場合三つ方法があります。一つ目は良い波動を入れてやる方法です。この方法は相手には気持ち良く感じられますが、こちら側は徐々に疲れて来ます。二つ目は悪い波動を取ってやる方法です。この方法はこちら側にとって大きな負担がかかります。 その人から悪い波動を取ると、その人と同じところが痛くなったり苦しくなったりします。直後に出てくるものはそう感じませんが、後でじわじわと出てくるものは、夜中に目が覚めたり、うなされたりすることがあり非常につらいものです。三つ目は悪い波動を中和出来るような波動を入れてやる方法です。酸性の液とアルカリ性の液を混ぜて中和するようなものです。この方法は相手に痛みを生じます。手を当てるだけで痛みを生じるときがあります。本当に人を良くするには苦痛が生じるものです。楽して治す方法もありますが、これではその人のエネルギーレベルはアップしません。歪みを正すのにはそれなりの負担がかかります。これは他の全てのことに関して言えることです。これは治療に限らず他の全てのことに関して言えることです。ただし、楽して治したほうが良い場合もあります。

(5)
 このように私が人を良くするやり方は気功と似ていますが、双方に何らかの負担がかかります。根本的に悪いものを良くするには苦労がつきまとうと言うことです。人生の苦労も同じです。苦労をいやだいやだと思うときは心のエネルギーをマイナスにしているときです。プラスにするにはそれをいやだと思わずに苦労は耐えるもの乗り越えるものだと思って下さい。苦労は自分の悪い所を修正するために、また弱いところを強くするためにあるのだと思って下さい。何事もプラスに考えて下さい。苦労があるから成長するのです。逆に言えば成長できる心があるから苦労があるのです。但し同じ苦労をいつまでもしているということは自分が良くなっていないということです。漠然と生きないで常に自分を良くしようと生きることです。

(6)
 人を治す能力は誰でもあるものです。ただ人を良くしたいという気持ちがあるかないかだけです。そういう気持ちがあれば必然とそういう能力が出てきます。
 単に人の治療をするだけならば医学的な知識は何も必要ありません。あなたが悪いと感じる所をあなたの思う方法で治してあげたら良いのです。なぜそこが悪いのか、悪くならないようするにはどうしたら良いのか、と思い始めたら色々な知識が必要となってきます。自分で勉強できる方はそうして下さい。わからない方は、ご質問下さい。

(7)
 人を良くした分それ相当の報酬を得ることは悪いことではありません。人は持ちつ持たれつ生きてます。一時的に得してもどこかで吐き出さなければいけない時が来ます。もしくは心のエネルギーがダウンします。ただほどこわいものはありません。何かほどこしを受けたら、その分相手に何かを返さなければなりません。今はお金というものがあるのでそれで返しても良いし、治療をしてもらったら治療で返しても良いです。持ちつ持たれつの関係が崩れなければ良いのです。またほどこしを受けた相手に返せない場合は、全く別の相手に返しても良いのです。自分だけが得することが無いようにすれば良いのです。一つ大事なことは、ほどこしを受けたと同じ分だけ返す必要はありません。その人の能力なりに返せば良いのです。運の良い人、能力のある人ほどお金が入って来る世の中ですがそういう人ほど返す分も多くなります。いろんな意味で能力のある人は能力のない人を支えて行かなければなりません。

(8)
 自分より心のエネルギーレベルがはるかに上の人や波動が合わない人を治療しても効果はありません。もしあなたが治療しても効果がない方が現れた場合は、無理に治療しようとしないで下さい。
 その方が悪い意味で心のエネルギーレベルが高い場合は、あなたが極端に衰弱してしまいます。心のエネルギーレベルが高いと言っても良い意味も悪い意味も含まれるのです。良い意味で心のエネルギーレベルが高い人を治療するとそんなに負担にはなりませんし、かえって心地よい場合があります。自分のエネルギーレベルよりもはるかに低い人の治療は訳なく出来ます。自分を高めるなら同じエネルギーレベルを持った人を治療しあうほうが良いでしょう。
 心のエネルギーレベルとはその人の体力や能力を言っているのではありません。身分や地位や学歴で決まるものでもありません。勉強の出来ない方や障害者の方でもその心持ちになれば誰でも人を良く出来ます。

(9)
 悪い意味で心のエネルギーレベルが高い場合は、それを良いものに変えるより出してしまった方が良い場合があります。
 悪いものを出している時とは、苦労にたいして愚痴をこぼしているとき、自分の思いのままに事が運ぶとき、欲しいものが簡単に手に入るとき、何の負担もなく(治すことに対して)何の心の変化もなく病気や苦痛が治ってしまうとき、快楽に浸るときなどです。
 ただしこの様なことが駄目だと言うことではありません。悪いものを良くすることより、悪いものを取ってしまった方が賢明だと言うことです。ただしその人の心のエネルギーはダウンします。さらに他の人に苦労、迷惑がかかります。他人を犠牲にします。
 プラスにした方が良いとわかったとき、苦労のある人はそれに絶えて下さい。何回も述べますが苦労があるから成長するのです。
 性的な禁欲も一時的には大切です。性的な禁欲は肉体を作る波動をレベルアップします。この波動がレベルアップすると肉体に超能力的な機能をもたらします。ただし、肉体が再起不能になるほどの禁欲はしないで下さい。と言っても限界が来たら愛するパートナーと出会えることになりますが。
 セックスは、心が肉体を持ったとき波動の科学から見るとどうしても必要なものです。詳しいことはPart4[心]で説明してあります。
 同じ欲でも出して良い時と悪い時があります。その時は出して駄目なものであってもある時点まで来ると出しても良い場合があります。その欲を出しても自分だけが得するものでなく誰も傷つくものがなく、そして世の中の秩序が乱れなければ良いのです。
 健康でない方はなぜ自分が健康でないのか考えてみて下さい。ほとんどの場合、自分の不摂生が原因となっています。自分を改めて下さい。心が良くなった分だけ健康になって行きます。病気というものは元々自分が持っているものです。持っているものはいつかは出さなければなりません。こんな病気になってしまったと思わずに、この病気が出てきてくれてこれを克服することにより、自分の悪いものが無くなってしまうのだと思って下さい。自分の持っている病気が無くなる良いチャンスだと思って下さい。

(10)
 快楽がなぜいけないかというとその時は楽しくても結局、健康を害したり、周りのものを傷つけている場合がほとんどです。快楽は全てが駄目なわけではありません。セックスは唯一の快楽です。愛の表現として、お互いのためになるセックスはおおいに楽しんで下さい。健全な愛の表現ならば良いのです。恋しあうもの同士素晴らしい官能の世界を作って下さい。
 複数のセックス、同性のセックスも否定することは出来ません。このようなことは理解できない方が多いかもしれません。先程述べたように、その欲を出しても自分だけが得するものでなく誰も傷つくものがなく、そして世の中の秩序が乱れなければ良いのです。従って不倫というものは、その人の立場によって否定も肯定もできます。今の人間の持つ欲や感情が大きく左右します。嫉妬心や独占欲が強い方はとてもじゃないが不倫は理解できません。嫉妬心や独占欲は本当はあってはならないものです。
 本当に人のために生きようと思ったとき嫉妬心や独占欲はなくなります。何れは無くなるものです。今すぐ無くなると言うものではありません。しかし直ちになくして欲しい心があります。それは、人を憎んだり恨んだりする心です。この心は人を傷つけます。恐ろしい心です。どんな悪人であっても憎んだり恨んだりしてはいけません。正しい判断が出来なくなります。相手をよけいに傷つけ悪いものにしてしまいます。相手を良くしようとする心からは逆行してしまいます。
 今、あなたが本当の相手と一緒であればよいのですが、そうでない方は大変だと思います。もし、あなたが本当の相手と一緒であれば不倫はしなくなるかもしれません。そう言う意味では、正しい不倫であるならばうまくいくものです。と言っても人間として正しい心持ちを先に理解する必要がありますが。
 恋愛や結婚に失敗してもマイナスに考えないで下さい。それは、あなたの本当の恋愛観が育つためにはどうしても必要なものなのです。
 恋愛観、結婚観についてはPart4[心]で述べます。

(11)
 相手のためになると言うことは相手が喜べば良いということではありません。お酒の好きな人にお酒をどんどんあげれば相手は喜ぶでしょう。しかしその人の体は駄目になります。相手が完ぺきな人間であれば全てその人の喜ぶことをすれば良いのですが、この地球上にはそんな人はまだおられません。いけない所があれば教え、否定してあげて下さい。人のことは良くわかっても自分のことはなかなかわからないものです。しかし、心の悪いものほど、自分のことを言われると返って反発してしまいます。中には逆上してしまう者もいます。手に負えないと思ったらほっておくしかありません。でも、「良い心になって下さいね」と願ってあげることは忘れないで下さい。
 自分の悪いところを治すのに人を見て治す方法があります。その人の行い、言動が心地よいものと思えばまねをするのです。逆にいやな感じを受けたら自分にもそういう所が無いか探して下さい。あればなくすよう努力すれば良いのです。言葉遣い、口調も大事なものです。こんな言われ方をしたら感じが良かった。ならばそれをまねすれば良いし、逆に不快な感じがしたら、こんな喋り方をしたらいけないなと思えば良いのです。ちょっとした言葉遣いでその場の雰囲気は変わるものです。
 人を戒めるときは一時的には強い口調が必要なときもあります。しかし、最後は穏やかな口調で諭してあげることです。

(12)
 人を良くすれば自分も良くなります。なぜならば良くした相手が今度は自分を良くしてくれるからです。他のために生きるならば自動的に自分は良くなるのです。私利私欲を捨て他のためにと思ってやれば必ず全てが良くなってきます。
 自分自身の肉体を見ればわかります。元々自分にあるものは心だけです。あとは全て他からもらって自分が作り上げたものです。ということは他を良くするならばいやでも自分は良くなっていくのです。自分のために生きたのでは自分どころか全てが駄目になってしまうのです。

(13)
 この世の中、故意にあるいは無意識に人を傷つけあっています。そういう意味では自分の健康は自分で守って下さい。自分の健康を害されるような事があれば避けろと言う意味です。ただし自分で自分の健康を害するようなことをしている人は問題外です。まず自分の不摂生は正さなければいけません。それが出来ないのに自分を傷つけようとするものだけ避けようとしても理屈が合わなくなります。自分の身勝手になってしまいます。
 健康であるならばどんなことが起きても何とかなるものです。逆に健康でなかったらどんなに良いことが起きても幸せにはなれません。まずは健康からです。そういう意味では自分を大切にして下さい。

(14)
 波動というものは科学が進歩すればいつかは証明されるときが来ます。科学的に証明できないものは何一つありません。ただ、今の科学がまだまだ途中のものであるというだけです。今の科学が全てではないのです。自分を中心に考えていると自分の知識の分でしか理解できません。未知のことには謙虚になることです。何を言っても私たち人間も自然もそしてこの宇宙そのものも科学的に作られたものです。自然に出来たものはただ一つだけなのです。偶然と奇跡は今だかってまだ一つしか起きてません。

(15)
 私が述べることは現実離れしたことが多いかも知れませんが、皆の幸せを願うと知らず知らずのうちに現実からは離れたところが見えるようになってきます。現実が正しければ現実しか見えないはずです。現実が正しくないから現実から離れたものが見えるようになってくるのです。自分を良くし他のために生き、みんなが幸せになろうではありませんか。最終的には楽しく生きろです。まずは自分を良くしようと思うことからです。難しいことではありません。そう思うだけで後は自動的に導かれていきます。もう一度言います。自分を良くしようと思うだけでいいのです。

(16)
 ここで紹介している筋力テストとフーチセンサーは、自分に対しても他人に対しても占うことが出来ます。よろしければ皆様方の占いも致します。人生の指針、目標点を見いだすことは、無駄なく効率の良い人生を送ることが出来ます。また、生きる励みにもなります。私とメールのやりとりをしている方は、既にこの方法で回答していますので改めて申し込まれる必要はありません。

 


 

Part2[オーラ]

 

 

 

このPartは次の本を参考にしていますが、今は絶版となっています。

「あなたにもオーラが見える」著者:柳川昌弘 発行所:KKベストセラーズ

 絶版となっていることを残念だとは思わないで下さい。好奇心という欲望があるとオーラをみたいと思いますが、この本の通り訓練したからと言って誰にでもオーラが見えるわけでありません。オーラが見えたとしてもそのことが役に立たなければ何の意味もありません。また役に立てようと思うとかなりの負担がかかります。オーラを見ることはそれなりの覚悟とそれに耐える心が必要です。

(1)
 どんな物質でもその物質特有の波動が出ていることはPart1で述べたとおりです。その波動はハンドスキャンのように手や体で感じることも出来ますが、当然目で見ることも出来るわけです。波動を目で見ればオーラになります。オーラの具体的な見方は「Part4[心]に解説してあります。見えたとしてもハッキリと色を確認できる人は少ないです。目で見て何かあるなと言う感じでも見たことにはなります。オーラは蛍光色ですので蛍光色に敏感な人は見やすいと思います。衣類などを蛍光剤で処理しているものを太陽光の入る部屋で見たときに白いものが青く見える人は見やすいと思います。ハッキリ見えなくてもそう気にすることはありません。フーチセンサが動かせる人と動かせない人がいるのと同じです。それよりも、そういう能力が正しく使われるかどうかの方が大切です。そのような能力を自慢することや、自己の利益に使おうとしている人のほうが問題です。またオーラが見えれば見えるで色々と苦労が増えるものです。
 オーラを電磁波としてとらえコンピュータで解析して誰にでもオーラが見えるようにした装置があります。しかし実際のオーラはこのようには見えません。これはあくまでも人体から出る電磁波を解析したものです。ただこの装置によって見える色の意味するものはオーラを見る目的が何であるかによっては正しいものとなります。オーラを見る目的によって、その色は違ってきますのでこれを全てだと思わないで下さい。

(2)
 私が今の世の中に疑問を抱き何かしなければいけないと思い始めたのは平成元年の前の年からです。そう思い始めたときに、「あなたにもオーラが見える」という本に出会いました。私の場合は、この本に書いてある通りに訓練したらすぐにオーラは見えるようになりました。この本にはフーチセンサのことについても書かれています。私がフーチセンサのことを知ったのもこの本からです。オーラが見えるようになったのも嬉しかったですが自分の手に持ったフーチセンサが回ったのは、もっと嬉しかったです。
 私にとってフーチセンサは上とのテレパシーがうまく通じないときの大事な大事な交信道具です。この本には磁石を絹糸で吊るしたものをフーチセンサとして使っていますが、手で持てて振り子になるものであればなんでもよいです。磁石は回しやすいというだけです。箒や椅子も回りますし、重いものでも手で持てさえすれば回ります。小さな子供の子でも手にぶらさがれるならば回ります。振り子を逆にしたやじろべえでも回ります。 
 ハッキリとオーラを見ることが出来る人が少ないようにフーチセンを回せる人も少ないと思います。フーチセンサを正しい目的で使うならばよいですが、自己の利益のために使おうとすることや、興味本位で使うことはしないで下さい。これは本当に大事な道具です。それを使う必要がない人には、回せないようになっています。

(3)
 オーラの見方、見え方は「あなたにもオーラが見える」の本に書いてある通りです。今は絶版となっていますので、私が少し解説しておきます。
 オーラの見え方はその人の能力や役割など色々な意味合いによって、同じ物を見ていても見る人によっては見え方が変わってきます。私が人を見た場合の見え方について述べておきます。
 人のオーラを見ると三層構造になっているのが分かります。一層目のオーラは人体を作り出すオーラですので、その人の輪郭に沿って薄く、普通1~3ミリ、最大でも2~3センチの範囲までです。私が治療するときに出すオーラは、ほとんどこのオーラを利用しています。特に手からは強く出すことができ指先からのオーラは今の私のパワーで極短時間ならば最大10センチぐらいまでは出すことができます。これで奥深い内臓にまで私の波動を入れることができます。 悪いものが表面に出ている人は、ほとんどパワーはいりませんので撫でるか手か指を当てているだけで治療ができます。
 波動で治療するには三つの方法がありますが(Part1[ハンドスキャン]の(3)を参照)中和しているときは撫でているだけですごく痛がる人がいます。これは悪いものが表面に出ている人です。その人の不摂生や心の持ち方が悪くて悪くなっている場合は、耐えがたい痛みになります。精神的なものほどピリピリした痛みになります。
 二層目のオーラはその人の心のオーラです。10センチから40センチぐらいの範囲で見ることができます。この範囲は心の強弱によって刻々と変化します。一定のものではありません。当然病気などで衰弱している人は範囲が小さいです。目で見なくてもハンドスキャンでその範囲に手のひらを近づけると、第二層のオーラを感じとることができます。フーチセンサでも確認することができます。フーチセンサがその範囲に入ると回るように命じておくとフーチセンサがそのオーラを感知したときは回り出します。私自身は目でもハンドスキャンでもオーラを確認できますが、それをその人に確認してもらいたいときには、この方法を使います。
 このオーラは心のオーラですのでその範囲にまで近づくとその人の心持ちが伝わってきます。心持ちがわからないとその人を良くすることは出来ません。その人の心持ちを良くするためには必要なことです。自分の心持ちが相手に伝わることを怖がる人がいますが、自分を良くしてもらえるのだったらいくらでも伝えたいという気持ちになるのが本当です。相手に自分の本当の心をわかってもらえるならば怖いどころかありがたく感じます。それと自分を良くし相手も良くしようという気持ちがある者しか、このような能力は備わりません。だから、そのような人には安心して自分の心を伝えることが出来ます。その人の心持ちがわかることによって、色々とアドバイスをしてあげることができます。またその人の悪い心持ちも取ることによってその人の心を良くすることができます。その場合、こちらの心持ちが一時的にその人の心持ちになります。急にイライラしてきたり、腹立たしくなってきたり、悲しくなって来たり、欲張りになって来たり、性欲が湧いて来たりと色々と自分の心が変化します。

(4)
 性欲が湧いて来ると言うと誤解を招くかも知れませんが、女性の場合は、そのレベル、発している場所や質などがわかるだけですが、男性の場合は実際にセックスをしたいというイメージが頭の中に出てきます。
 性欲の気の流れも体の気の流れの一部です。生殖腺の気の流れと同じように出てきます。性欲が溜まってくると生殖腺の気の流れが崩れ体の不調となります。特にホルモンバランスの崩れや自律神経失調症などの症状が出てきます。更年期障害のひどい方は性欲が強い方かうまくはけてない方です。更年期障害のひどい方やひどかった方を治療していると60才や70才の方でも強い性欲を感じます。
 自分を強くし何かを悟るための禁欲はよいですが、嫌らしいもの、いけないものと思う禁欲はしないほうがよいです。一人でも複数でも同姓でもうまくやればよいと思います。愛の表現と一致するのが一番良いのですが、今の世の中、そういう相手となかなかめぐり合うことは出来ません。
 日本の法律では、わいせつ画像は禁じられています。もともと、人間の体というのは美しく魅力あるものに作られたものですから、裸を否定することは人間としての魅力を否定するものです。(かといってこの法律が無いともっと混乱すると思いますが)
 インターネットの普及により、色々な画像を手に入れることができるようになりましたので、このようなものを利用してもよいと思います。画像や写真というものは自分の波動をそれに転写することが出来ます。昔から写真を撮られると魂を抜かれると言いますが確かにその通りです。心までは抜かれませんが自分の気はその写真を見た人に移ります。でも移ったほうがよい気もありますので、撮られたり見たりして波動を中和することもよいことです。画像を見て性欲が中和できるならばそれでよいと思います。注意してほしいのは、今のセックスは愛の表現、もしくは気のバランスを整えるにとどまらず、セックスだけが一人歩きしているところがあります。性欲も食欲と同じです。おいしいからと言って好きなものを好きなだけ食べていると健康を害するのと一緒で、セックスは自由ですが度を越したセックスは健康を害することがあり、また色々なトラブルを招きます。私利私欲のセックスは慎まなければいけません。相手のため、自分の健康を守るための範囲にとどめて下さい。
 でも、性欲の強い人は辛いと思います。相手のない方やあっても結婚してマンネリ化してくる30代ぐらいからは欲求不満の人が多いです。いつも同じ相手であっても、その質やレベルそして心の持ち方が変化しないかぎり、いつまでもその人と変わらぬセックスをすることはできますが、そういう人たちはかえって少ないです。最初はよくてもお互いのセックスのレベルや質の変化により飽きが来ます。また、セックスのレベルが極端に違う場合や自分だけが満足するようなセックスをしていても相手は欲求不満となり違う相手を求める結果となります。違う相手を求めることが正しいかどうかは難しい判断です。正しい意味でのセックスであるならば、たとえ不倫であってもそのときは誰の心も傷つかずうまくいきます。

(5)
 手かざしという治療方法がありますが、これは二層目のオーラをコントロールする方法です。私も時々使いますが、この手かざしによる治療は原理を本当に知って使わないと、とんでもない結果になります。本当に人を治すにはその人に触れてあげることです。
 二層目のオーラまで近づくことができないときは、ハンドスキャンでレーダーのように、こちらから波動を出し跳ね返ってくる波動を読んで心持ちを探る場合もあります。これは目でも出来ます。目から出るオーラは自分が見える範囲まで届きます。ただし視力と一緒で遠くのものはぼけます。目は口ほどにものを言うとは、まさしくその通りです。
 心は脳の視床下部に位置しますので目と目とを合わすとこちらのオーラで相手の心が染まってしまい本当の心を探ることが出来なくなるので、わざと目をそらすときがあります。逆にしつこく相手の目を見るときもあります。相手に直接触れてもこちらのオーラで染まってしまうときがあります。治療中に患者さんのオーラを見ていると自分のオーラの色になっていることがあります。
 三層目のオーラはその人の肉体から離れていくオーラです。見えたり見えなかったりします。見えても瞬時に変動したり消えたりします。人前で熱弁している人の三層目のオーラは激しく変化しています。このオーラは肉体から離れますので、その人が部屋から立ち去っても、その人の気配が残ります。今まで誰かが居た感じがするというのはそういう時です。また影から誰かに見られているとき、その人の目から出るオーラが強いと姿は見えなくても、誰かに見られているような気配を感じます。

(6)
 最初はオーラを見ることに欲がありましたので何でもかんでもオーラを無理に見ようとしましたのですごく目が疲れました。欲望で見てはならないです。相手のために見ることです。今は特に見ようと思わなくてもいつもオーラを見ている感じです。透明なガラスでもそこにガラスがあるということがわかるように、色がついてなくてもオーラは見えます。大事なときはハッキリと色がついて見えますので、必要としない限りは無理には見ません。オーラの色の意味するものは「あなたにもオーラが見える」本にに書いてある通りですが、すべてがそうではありません。その人の何を見るかによってオーラの色は変わってきますので、今この色のオーラが見えたから、この人はこうだとは言うことはできません。自分のオーラが反射して、あるいは伝わって見えているときもあります。
 私が人のオーラを見るときは健康状態を常に頭においていますので、普通はその人の肉体の気の流れ(経絡)を見ています。気の流れが悪いところは黒く見えたり落ち込んで見えたりします。時には墨を流したようなオーラが漂っているときもあります。
 ちなみに腹黒い人の心のオーラはやはり黒いです。黒と言っても真っ黒でなくわずかに灰色がかっています。煙っているような感じです。このようなオーラを放つ人は要注意です。何か悪いことをたくらんでいると思います。どんな場合にしろ煙ったようなオーラは悪いものを意味します。この地球では綺麗なオーラを放っている人は少ないです。赤・黄・緑などのオーラを発している人は多いですが見えてもほとんど灰色か黒っぽいオーラがほとんどです。
 その人がこの宇宙に生まれてきた役割分担を意味するオーラは何十秒かじっと見ていないと見えてきません。その場合のオーラは澄んだ色になります。1色だけではなく上半身が黄色で下半身が緑とか2色の場合もあります。本来、人のオーラは1色なのですがこれが2色以上に見えると言うことは、何か深いわけがあります。

(7)
 波動を感じたり見たりすることは、おもしろいように思えますが、この地球上では、かえって辛いことです。私にとってオーラを見るということは、そのものを吸収捕獲していることになります。この地球上では綺麗なオーラを放っている人はまずいません。私がその人のオーラを見るときは、その人の悪いものを取っていることが多いです。汚れたオーラを取るのですからダメージを受けます。大勢の人を見るとそれだけで疲れてしまう場合もあります。今(2009年)の私の力は、まだまだ弱いので、満員電車のように、たくさんの人を見るうえに、体が触れて人の気を肌で直接感じ取るようなところではへとへとになってしまいます。それともっと厄介なことがありました。 私がオーラを見るようになってから一部の人にしか見えないものまで見えるようになってきました。それは俗に言う霊です。先ほど捕獲と書きましたが私が霊を見たときは必ずそれを私の体に入れています。私が捕獲する霊は心に問題があって上に行けない霊です。つまり成仏できない霊です。この霊を上にあげるにはまず、その霊が持っている悪い心を取り除かなければなりません。悪い心といっても霊によってさまざまです。憎しみ恨みを強く抱く霊、人が怖がるのを喜ぶ霊、悪ふざけばかりしている霊、人にとりついてはその人を不幸に落し入れる霊、その人を不幸に落し入れるだけでなく、とりついた人を操作して他人に危害を加える霊、悪さはしないがこの世に未練が残りあの世へ行けない霊、人のためにはなってはいるが自分の好きな人しか守ろうとしない霊・・・。さまざまです。このような心を取り除いてから上へあげるわけですからその間は大変辛いものがありました。
 治療中にその人の悪い心をもらっているときは、その人と同じ心持ちになるということは先ほど述べました。この場合は一時的なものですが、霊の心持ちを処理するときはその処理を終えるまで続きますので大変辛いときがありました。パワーの強い霊を取った夜は、ほとんどうなされたり、なんとも言えない苦しみが夜中に襲ってくることもありました。肉体的な苦痛と共に、生きているのが嫌になるほどの不安感や落ち込みなどの精神的な苦しみも入ってきました。でも、心が強くなっていくと同時にこのような苦しみも徐々に薄らいできました。
 このような苦痛の対処方法としては、苦しみに浸かって溺れてしまわないことです。もがけばもがくほど苦しくなります。冷静に自分の状態を把握してください。それと避けないことです。嫌なものは嫌ですが避けようとすればよけいに苦しくなります。これは「耐えるもの」と割り切ってください。苦しみに負けずに耐えていればその苦しみは必ずなくなってきます。逃げないことです。病気の人であるならば、その病気に打ち勝とうする強い信念を持ってください。苦しみによっては長く続くものもあります。私の場合でも10年以上続いていた苦しみもありました。だけど、どんなに嫌なこともプラスに考えてください。そうすればその苦しみはすべて自分の心が成長する糧となり、人のためにもなっていきます。最後には苦しみがあってよかったというときが来ます。とにかく辛抱あるのみです。負けたら終わりです。(と言っている私も悲鳴をあげているときもありましたが。) 私の場合は霊が入ってきてそれが悪さをしていると言うことがわかるからまだましなほうかもしれません。霊にとりつかれて不運な目に合っている人は一杯います。だけど、自分を良くしようとする心を持てば霊は居づらくなります。私のように霊を取っては上へあげる役をしている人は別として、自分を良くしようとする心が強くなれば、あなたは霊にとりつかれることはなくなります。取りついていた霊も出て行きます。あなたの悪い心持ちが霊をおびき寄せているのです。霊が悪いわけではありません。

(8)
 霊によってその見え方はさまざまです。きちんと人間の姿をしたもの(同じ姿勢をとっているものがほとんどですが、希に街の中を歩いている霊もあります)、足のない幽霊(足が無いと言うよりは足までしっかりと姿を現すことが出来ない)、白くボーッとしたお化けのようなもの(これが一番ゾクッとします)、鬼火を放つ霊、妖怪などのような化け物(気持ち悪いものが多いです。私が最初に見たのは全身しわくちゃの妖怪でした。滑稽なものもいます)、般若(恐ろしく怖い顔です。般若の面がありますが本物はあれぐらいではありません)のように顔だけのもの、姿は形作れないが何らかのオーラを放っている霊など色々です。顔はあっても目、口、鼻がないのっぺらぼう(自分の顔に不満があるなどのコンプレックスで顔を表現できない)も結構多いです。
 霊を見るようになって一番驚いたことは、その数の多さです。人の数と同じぐらいいるのではないかと思われるほど多いです。それと人の霊だけではありません。動物の霊もたくさんいます。犬や猫など人間に飼われる動物の霊は多いです。一度猫の霊をハッキリ見たことがあります。5~6メートル先を猫が歩いていたのですが、突然消えてしまいました。今のは何だったのか思うような出来事でした。
 主(ぬし)と呼ばれる霊は自然界の動物が多いです。
 姿形が作れる霊でもいつもその姿を現しているわけではありません。自分をアピールしたいときだけ現れます。誰にでも見える波動で姿を現してくる霊もあります。ただし、この時間が瞬間ですと脳には映像の記憶として残りませんので「何か居た。」という感じだけになります。1/100秒のような瞬間であってもそのときにカメラのシャッターを押していれば後から現像したときに写真に写る結果になります。これが俗に言う心霊写真です。カメラの精度や設定によっても写り方は変化すると思います。乱反射などで近くにあるものが写りこんでいる場合もありますのでそのようなものがすべて心霊写真だと思いこまないで下さい。

(9)
 霊から人間に対しては物質的には、なにも関与することは出来ません。ただ、人間で言えば超能力を持ったような霊は、物質に対して何らかの力を加えることが出来ます。茶碗を飛ばすような霊がいても不思議ではありません。普通の霊は物質に対して何も関与できないわけですから目の前に自分の欲しいもの、食べたいものがあってもどうすることも出来ません。この場合は人の体に乗り移るしかありません。乗り移った人の体を借りてこの世の物質を感じています。悪さをしない霊であっても何らかの欠陥を持っていますので、そのような霊が入ってくるとその人の体調は崩れてきます。逆にその人を守るために入っている霊もありますがこのような霊も救わなければなりません。霊が入っている患者さんは、その霊を取り除かないことにはよくなっていきません。新興宗教などで除霊すれば病気が治ると言いますが、あながち嘘ではありません。
 今の私は霊能力者のように霊の代弁をすることや、心霊写真を解説する役でありません。それは別の方々におまかせします。
 色々な霊が見えるようになったと言いましたが、今は直接に姿をとらえて霊を見ることは少ないです。私が霊を見るときは、普通にはその心の位置を点で見ます。この方法だと姿を現さない霊も存在を確認することが出来ます。心は物質ではありません。大きさもありません。大きさのないものは点としか見ることは出来ません。そして、そのレベルによって点の大きさを変えて見るようになっています。大きなパワーを持った霊は大きな点に見えます。大きなと言っても2~3ミリぐらいです。それ以上に、大きく見えるのはオーラを放っているときです。小さな霊ですと虫と区別しにくいですがよく見るとただの丸い点です。霊が体から出てくるときも点で見えます。気づかない間に出てきて飛んでいる場合もあります。以前は、見たらすぐに、目から自分の体に入れていました。取ろうとしなくても知らない間に背後から入ってくる霊もありました。取った霊は私の心のすぐそばにしばらくの間おいておき、不要な心がなくなった時点で上にあげていました。この処理をしている間にこわれてしまう霊もありました。いたしかたありません。心として存在できるならば、次にたとえ動物や植物に生まれ変わっても幸せを感じて生きることは出来ますが、こわれてしまったのでは何も出来なくなります。今、この世で生きる私達も自制なく欲のまま生きていたり、漠然と生きていると次に人間以外のものにも生まれ変わることも出来なくなります。とにかく自分を良くすることに努めることです。また、霊に対して恐怖感や嫌悪感や憎悪感を持たないようにしてください。どんな霊(心)であってもそうなろうとして生まれてきたわけではありません。迷わず成仏するように祈ってあげてください。日本人ならば「南無阿弥陀仏」と念じることは有効です。他の宗教を信じておられる方はその宗教の念じ方でよいです。
 心のレベルが上がれば、何も唱えなくても霊をコントロールすることができるようになります。宗教に頼ることもなくなります。
 私の場合、霊を自由にコントロールすることはできますが、たとえその霊が悪霊であってもその人に必要な場合は、無理に成仏させることはありません。悪霊も大事な筋書きの一員です。

(10)
 すべてが悪い霊ばかりではありません。すべてを見渡してその人を正しい方向へ導いている霊もあります。守護霊、背後霊と呼ばれるものがこれにあたります。守護霊は上にいますので見ることは出来ません。(降りてくれば別ですが)  普通、背後霊は その人の後ろについていますので時々見たり感じたりすることがあります。動物についているときもあります。このような霊は心の綺麗な澄んだ霊ですので見ても向こうから入ってこない限り、自分に入れることはありません。
 守護霊はすべての人についていますが背後霊はついている人といない人があります。守護霊も背後霊も交替することもあります。また複数である場合もあります。
 守護霊、背後霊とはいったい何なのかは、次のPart.3[テレパシー]のところで詳しく述べます。ここでは霊の定義をハッキリしておきます。人間を例にして述べますと、心が肉体を持ったものが人間であり、その肉体から心だけ抜け出せば霊です。言いかえれば心だけのときを霊と呼び、肉体を持っていれば人間です。人間の状態であろうが霊であろうが本質は心です。浮遊する霊であっても肉体を持てば人間になります。
 地球人が赤ちゃんとして生まれるときは母親の体内にいるときに心が入ってきます。入ってこなかったら流産か死産です。(これは地球人にかぎっての生まれ方です。宇宙人は色々な生まれ方をします。)寿命が尽き、死ぬときは肉体から心は離れます。どんな心が入っているかによって違いますが、自分で上にあがれる心とあげてもらわないとだめな心があります。あがるのを拒否すればこの世を浮遊するしかありません。肉体は死んでも心は死ぬことはありませんので死を恐れることはまったくありません。

(11)
 霊が悪さをする例として解離性障害(多重人格)があります。今の学説では解離性障害は幼い時のトラウマが原因で別の人格を作り出すというように言われていますが、トラウマを持つような心ほど霊がとりつきやすい心です。私でも強い霊が入ってくると性格が変わりそうになったときがありました。
 自分以上に強い霊が入ってくると人格が変わってしまう人がいます。それが多重人格です。この場合は霊を抜くか、入っている霊がすべて一つの心として動き出せば人格は一つに収まります。時間をかけて一つの人格に融合していけば良いと思います。
 このことでわかるように一つの肉体に一つの心しか入れないわけではありません。無限に入ることが出来ます。地球人の場合は、必ず複数の心が入っていますので、その心が分離して解離性障害を引き起こす場合もあります。また、複数の心の統合が取れていないといわゆる統合失調症になってしまいます。

(12)
 オーラの色と相性の関係をお話します。
 恋愛のパートナーは、お互いが補色同士であることです。
補色とは、色相環で、対抗位置にある色。また、ある色をしばらく見つめた後、白い紙に目を移動させた場合に残像として現れる色を言います。


 お互いの心を補うようにオーラを出し合いますので、常に穏やかな落ち着いた雰囲気となります。と言っても、オーラを見ることの出来る人はほとんどいませんので、逆に考えるとわかりやすいです。
 その人と一緒にいると、心が落ち着き穏やかになることが出来れば、補色同士だと思ってください。その反対に、気が合うとめちゃめちゃ気が合うが、反発すると大喧嘩にもなってしまう場合は、同色だと思ってください。熱しやすいが、冷めやすい恋です。一緒になるより、恋人どうしで過ごしたほうがよいです。仕事のパートナーであれば同色がよいです。補色でもない同色でもない色だと、無難な恋が出来ます。恋愛と言うよりは、人間愛で共に過ごすことになります。

 恋愛感は、なくなっても、人間愛があれば一緒に生きていくことは出来ます。
と言うより、人間愛がわからないと本当の恋愛感はわかりません。いたわりや優しさは、恋愛感ではありません。人間愛です。あって当然のものです。勘違いしないでください。オーラの色が合っていても心の本質や構造的なものが違うと、また、そのレベルが違うと、一時的に合ってもいずれは合わなくなります。

 恋愛のパートナーと一つ屋根の下で暮らすパートナーが同じになることがあります。
この場合は、オーラの色は同色となります。この場合の同色という意味は、志しを同じにするには違いないですが、片方が片方に従うという意味で同色という意味になります。妻は夫に従うという聖書の教えの通りです。但し、この関係は逆転しても構いません。

 と言っても、この世は修業の場、片方が片方に従っていれば、悲惨な目に遭うこともあります。そこは臨機応変に対処して下さい。理想的には、まずは確固たる人間愛を築くことです。そうなれば、仲睦まじい夫婦となって生きられます。

 尚、オーラについて、補足的なことを“オーラの色と使命”と題して、ブログに解説してあります。参考にして下さい。

 


 

Part3[テレパシー]

 

 

 

 このPartは次の二冊の本を参考にしています。

「生きがいの創造」著者:飯田史彦 発行所:PHP
「真実を告げる書」著者:ラエル 発行所:無限堂
「真実を告げる書」の漫画版はラエリアンムーブメントのHPから無料でダウンロードできます。
日本語のホームページはhttp://ja.rael.org/rael_content/index.phpです。
尚、私とラエリアンムーブメントとは一切関係ありません。

(1)
 まず、上二冊の本に関して、概略を説明します。
 「生きがいの創造」は、生まれ変わりについて書かれた本です。退行催眠を利用し、その人の過去を前世までさかのぼり、聞き出した実録です。著者が書かれたことは別として、この本の内容は100パーセント真実です。難しい本ではないですので、誰が読まれても理解できると思います。ある意味で、順風満帆の方や我(が)が強い方や自己中心の方には、信じられないかもしれません。我がなく人のために生きて苦労多き方には、人生の手助けとなる本です。
 生まれ変わり=輪廻転生に関しては、仏教などでも言われることですので、信じられる方も多いと思いますが、自分が生まれる前に、自分の人生設計をすべて書いてから生まれてきているということ、言い換えれば、自分の人生は何もかもすでに決まっているということは、なかなか信じることは出来ないと思います。

 「真実を告げる書」は、ラエルというフランス人が、UFOに乗ってある星まで行き、異星人エロヒムと会話したことや目撃したこと、そして異星人からの伝言を書いたものです。私自身もUFOに出会ってますので、この本に書かれていることは信じることが出来ます。
 私がUFOに出会ったのは、平成元年(1988年)の初春のころだったと思います。駐車場に止めてあった車の中からふと空を見上げると、低く立ち込めた雨雲の中に、ぽっかりと穴が開いたように青空が見えるところがありました。突然、上のほうから何かが降りて来たかと思うと、雨雲を抜け出ない高さぐらい、丁度、私の位置からしか見えないぐらいの高さで停止しました。瞬間、それが何かは はっきりと確認することが出来ました。間違いなく流線型の銀白色に輝く三機の小型の円盤でした。その後、三機の円盤は、私に何かをアピールするように、同期しながら左右にゆらゆらとゆれ始めました。何分経ったかはわかりませんが、ゆれが止まり、急に上昇し始めたかと思うと、あっという間に姿が見えなくなりました。直後、濃いオレンジ色の光が雲を照らすように見えました。(私の潜在意識は、何もかも知っているみたいで、このような出来事には、出会えて嬉しいという感情だけで、驚きは何もありませんでした。)
 自分が見ないものは、信じられないかも知れませんが、私自身は、はっきりとUFOを見ています。UFOは実在することを言明しておきます。
 そのときは何もわからなかったのですが、後々、このUFOは、常に私の頭上に位置し、私を見守り、操っていてくれる宇宙人のUFOということがわかりました。私が言う「上」とは、このUFOもしくは宇宙人のことを指します。守護霊と呼ばれるのがこの宇宙人のことです。

 「真実を告げる書」は、人によって解釈の仕方がかなり変わる本です。全く信じられない方もおられると思いますが、それはそれでよいです。同じ人でも心持ちが変化するにつれて解釈が変わってきます。時々読み直すか、思い返したほうが良い本です。
 私たち地球人がどのようにして生まれたのかは、この本を読めばわかります。
ほとんど真実なのですが、一番肝心なところが書かれていないことと、そうであっても良いがそうでなくても良いというような、意味のないことも書いてあります。(何か裏があるという意味です。)
 また、まったくの嘘がひとつあります。嘘といっても良い結果をもたらすようにするための方便の嘘ですので、一旦は真実として受け取ってもかまわないと思います。

(2)
 さて、私が書いていることが、誰から聞いたことなのか或いは調べたことなのか、また、全くの想像なのか、疑問に思われることと思います。
 内容的には、想像で書けるものではないとは思います。想像で書くと、何か矛盾したおかしなところが出てきます。かと言って、本を読んだり、インターネットなどで調べても載っているようなことではありません。誰かに聞いたことなのです。 「真実を告げる書」の著者ラエルは、エロヒムから直接聞いていますが、私の場合は、UFOに乗って、常に私の頭上にいる宇宙人(守護霊)からのテレパシーによって聞いているのです。
 テレパシーと言うのは、脳を介さずに、心に直接話しかけてくるものです。右、左、上、下などの短い言葉は、直接言葉で聞こえることはあっても、ほとんど、声なき声で聞こえてきます。一時間も二時間も喋るような内容でも一瞬にして送ってきます。それを脳を介して言葉に翻訳し、このような文章を書いていくわけです。
 専門的な用語になりますが、言葉だとシリアル(直列)処理、テレパシーだとパラレル(並列)処理になります。従って一度にたくさんのデーターを送ることが出来ます。
 テレパシーは、言葉だけではありません。映像を送ったり、直接に肉体を操ることも出来ます。(霊が操る場合もあります。) 夢でも、記憶の整理として見る夢は別として、覚えている夢、現実のような夢は、テレパシーによるものです。(これも、霊があなたの頭の中に入ってきて、想像している場合もあります。) 私の場合は、目覚めていても夢を見ることがあります。
 私の場合、日常の会話も上から聞こえて来るテレパシーを翻訳しながら話しています。でも、知識にないこと、理解できないことは、何を言っているのかわからない時があります。お経や外国語を聞いているようなものです。内容によっては、もう一度ゆっくりと声に直して話しかけて来てくれる時もあります。それでも、こちらの知識にない言葉や記憶から引き出せない言葉や難しい内容のことは理解できません。でも、そのときはわからなかっても、後々勉強して知識が増えたり、苦労の甲斐あって悟ったことは、理解できるようになってきます。
 言葉だと自分の伝えたいことが全て伝えられなくても、テレパシーだと100パーセント相手に伝えることが出来ます。でも、相手にそれを理解できる能力がないと、テレパシーでも100パーセント伝えることは出来ません。
 今の私に任しておけない筋書き上の大事な場面では、私の口まで操って、上が喋ってくれます。極端なときは、喋っている声を自分が聴いているときもあります。自分が喋っているのに自分が聞いていると言う、心と体が分離したような妙な感覚になります。
テレパシーとはこのようなものですので、もし、あなたの頭の中に、誰かがはっきりと喋っているような声が聞こえてきたら、それはテレパシーではないかも知れません。あなたの心のそばに霊が入ってきて、あなたの心に直接に喋りかけているのかも知れません。
 もし、この霊が悪霊であった場合、その声を信じて その通りに行動すると、あなたは過ちを犯すことになります。全てが悪い霊とは言いませんが、直接に喋りかけてくるようなものは、テレパシーではありませんのでご注意ください。
 理性がしっかりしていれば、たとえ悪霊が入ってきても心配はないです。物事の判断には、感情を入れないことです。常に冷静に判断してください。
 感情を入れると自分も損しますが、人も損します。人を注意するのに感情を入れたら、相手はたまったものではありません。本当に叱ったほうがよいのか、優しく言ったほうがよいのか判断しなければいけません。それを自分の鬱憤(うっぷん)を晴らすようにどなってばかりいたのでは、相手を傷つけてしまいます。人の過ち、失敗を、優しい心、寛大な心で包んでください。そのためには、腹を立てたり、相手を憎んだり、恨んだりすることは、絶対にあってはいけません。
 人間の感情は、この世を楽しむためにあるものです。人を傷つけるためのものではありません。漫才などを見ればわかると思いますが、多少の怒り、嘆きは、笑いと楽しさを誘ってくれます。
 もうひとつ、正しい判断をするためには、自分を中心とした思いはなくすことです。まして、自分だけが得をするようなことは思わないでください。不要な欲はなくすことです。常に相手のためと思って判断してください。そうすれば腹を立てることもないです。腹を立てることが相手のためにならないことは、誰でもわかるでしょう。腹を立てることは、自分が、自己中心であることを証明しているようなものです。

(3)
 話を元に戻します。私の場合も、テレパシーが聞こえてくる前は、人の声が直接聞こえてくるときがありました。それは、この世の中に対して自分が何かをしなければいけないと気がついた平成元年(1988年)の前の年ぐらいからです。最初は、かすかな小さい声で頭の中で誰かが喋っている感じでしたが、徐々にはっきりと聞こえる声に変わって行きました。二、三ヶ月は、フーチセンサを使いながら、その声といつも会話をしていました。そのうち、もうひとつ別の声が聞こえてくるようになり、二つの声と会話をしながら、しばらく続きました。あるとき、その二つの声が、私が子供のときから、私についている霊だと言うことに気がつきました。元は悪霊ではないのですが、私を強くするために、良い意味で私の足を引っ張っている霊だと言うこともわかりました。
 この霊が、あるとき私の頭から二つ揃って抜け出てしまうときが来ました。その時、大きな二つの点が抜けて、上へ上がっていくのを見ています。
 この霊が抜けた後、平成元年(1988年)四月二十一日に、自分がこの世に誕生したことと同じぐらい重要なことが起きました。それは、「真実を告げる書」に書かれている「覚醒」と言うことです。大事なことでしたので、上に言われて、そのときの様子をメモしたぐらいです。
 私たちは、この世に生まれて自分の書いた人生設計通りにするため、常に催眠術にかけらたような状態で生きています。今の自分が本当の自分であるかのように生まれて来ているわけです。覚醒すると本当の自分が意識できますので、今の自分は、全くの仮の姿であることに気がつきます。自分であって自分でないと言うような、奇妙な感覚になります。
 最初のうちは、少し覚醒してまた元の状態に戻ることが多かったのですが、徐々に それが逆転して、今では、ほとんど覚醒している状態です。たまに、前の状態に戻るときがあります。戻るときは、なんとも思わないのですが、覚醒したときは、はっとするぐらい、意識が異なることに気がつきます。
 覚醒すると、自分が誰であるかもわかるし、自分の前世もわかるし、自分が何をしに この地球に生まれてきたかもわかってきます。自分が人生設計=筋書き通りに、動かされていることもわかります。テレパシーにより上と交信することも出来るようになります。(覚醒しなくてもテレパシーで交信出来る人もいます。) 今まで自分が考えていたようなことも、上からのテレパシーであることがわかるようになります。特にひらめきや直感は、はっきりとわかるテレパシーです。漠然としたテレパシーもあります。全体的に心をおおってくるようなテレパシーは、覚醒してもなかなか気がつきません。
 覚醒と言う感覚は、覚醒したものでないと、わかるものではありませんので、これ以上説明しようがないです。早く、みんなが覚醒できると良いです。その方法はただひとつ、自分を良くし他のために生きようとすることです。そうすれば、いつかは覚醒できます。ただし、他のために生きると言う本当の意味が理解できるまでには、覚醒してからも、随分と時間がかかるものです。
 私の場合だと、人間としての心の持ち方の根本は、他のために生きていくことだと悟ったのが平成11年(1999年)で、その本当の意味がわかったのは、(実感できたのが) 平成13年になってからです。本当の意味はわからなくても、まずは他のために生きようとする、その人の意志が大事です。
 動物と人間の差は、そういうことなのです。動物でも人間の肉体や頭脳を持つことが出来ます。この宇宙には、地球人よりも賢い動物がいます。それでも、自分は動物として生きるほうが幸せだとわかっているのです。動物は自然の摂理の中で生き、人間は、その摂理を創りだすのです。

(4)
 二つの霊が抜け出て、覚醒してからは、はっきりとしない別の声が聞こえてくるようになりました。先ほど言ったように上の宇宙人からのテレパシーが聞こえてくるようになったのです。覚醒していると、自分自らが何かを考え行動していることはなくなります。もともと生まれる前に、既に自分の生き方は決められているのですから、今、自分が考え行動することは、かえって矛盾してしまいます。先は決まっているのですから、そのことがわかる者は、先を聞きながら、その通りに行動をしていけばよいのです。
 覚醒したと言っても、普段はうっすらと自分の意識があるぐらいです。この筋書きを遂行するには、このぐらいがやりやすいです。時には、前の状態に戻ったほうが、やりやいす場合は、そうなります。
 テレパシーで動いているのは私だけではないです。全ての方がそうなのです。ただ、私はそれがわかると言うだけです。テレパシーは、その人にはわからないように、その人が考えているように、心に織り込まれて入ってきます。テレパシーかどうか見極めるには、覚醒するまでは難しいです。
 この筋書きを完璧に遂行するために、上におられる方も、私たち以上の努力をしておられます。何一つ過ちなく、私たちが書いた筋書き通りになるように、私たちを導いていてくれます。この方たちを信ずる心を持つことも、大きな課題です。姿が見えないものを信ずるのは、恐怖さえ伴います。私も どうなってしまうかわからないときが幾度もあり、信じられなくなってしまうときもありました。でも、それに打ち勝ち、とにかく上を信じることにより、乗り越えてき来たのです。そして、上を信じる心が完璧になったとき苦労はなくなるのです。 私が「生きがいの創造」の本を読んだのは、平成11年(1999年)です。平成元年に覚醒してしばらくしてから、上からのテレパシーで、「これは、全て筋書きですよ」と、教えられていました。従って「生きがいの創造」は、私にとっては、私がテレパシーで聞いていることの正しさを確認するための本と言うことになります。

(5)
 抜け出た霊は、私の足を引っ張る役目の霊でしたので、その後は、一時、すごく楽になりましたが、その次に新たな苦労が待ち構えていました。その苦労が始まる平成元年(1988年)の一時期に、超常現象と言われるような事を色々と体験しています。宙に浮いたり、瞬間移動したり、物体を貫通したり、急に背が高くなったり、人の顔が別の顔になったり、重いものが軽くなったり、遠くのものが大きく見えたりと、色々でした。Xファイルのよう事件も別に不思議ではないし、スプーン曲げやイリュージョンのようなことが、トリックであっても超能力であってもどちらでもかまわないです。その中で最も印象に残ったのは、時間はどうにでもなるということでした。
 このことはあまりにも唐突なことですので、今はお話しすることは出来ません。Part5[時間と空間]でお話します。
 超能力と言われるような能力は、人間として生きていくうえには、当然ある能力ですし、宇宙の原理から考えれば、ごく当たり前のことです。宇宙人は、日常茶飯事に、超能力を使って生活しています。これは、この宇宙を安全に快適に過ごす為に与えられた人間の能力です。このようなことは、私たち地球上の科学では説明できませんが、宇宙人が使う波動の科学から見ればごく普通のことです。今の科学は、筋書上の科学であって、仮に創られたものです。本当の科学ではありません。この筋書きが終わったら、もう一度いちからやりなおさなければいけません。
 私たち地球人も、同じ人間ですので、超能力は使えないことはないです。でも、今の地球人の心では、その能力が悪事に利用されることは必至です。そうなれば、あっという間に世界は崩壊することになります。心が清くなるまでは、ショー的な超能力は使えたとしても、実際に役立てるような能力が出せるまでにはまだまだです。

(6)
 私は、他の人と違って、この地球には前世がありません。また来世もありません。現世のみで地球での人生は終わります。従って、人生の前半は苦労して、後半は楽をするいうような筋書きを書いています。
 テレパシーによって自分が動くことは、一見楽そうに見えますが、その通りしたら痛い目を合ったり損をすることがわかっていてもしなければいけません。どちらかと言うと、初めのうちは、苦労するようなことばかり言われます。また、嫌なこと愚かな事もしなければいけません。その様なことを繰り返して、一時は肉体的、精神的、経済的にどん底まで落ちました。平成14年には肉体的、精神的にはかなり回復しましたが、経済的にはまだ苦しかったです。その時は、私から経済的な苦労をなくしたら、ほかに苦労がなくなるのでそれで良かったわけです。その時、平成15年(2003年)には、その苦労は終わると聞いていましたが、実際はその不安はまだ解消しませんでした。しかし今になって思えばそう思っていただけです。結果的にはここまで何とか無事に来ることが出来ました。今現在(平成21年)まだ不安はありますが、これもそう思うだけで何の心配もいらないと言うことです。 
 また、同じくその時に、平成17年(2005年)には今までの苦労が報われ、徐々に自分の力が発揮できるようになっていくと聞いていました。確かに、平成17年には今まであった苦労はなくなり自分の力を発揮できるようになりはしましたが、まったく別の苦労と言おうか試練が待ちかまえていました。これで再び人生のどん底まで落ちました。自分の力を発揮すると言っても悪い意味のものでした。平成19年にようやくその試練も終わりましたが、肉体的には最悪の状態となりました。しかし、精神的には安心立命の境地にさしかかろうとしています。これでやっと良い意味で本当の力が発揮できるようになって行きます。苦労が終わりに近づくと、このように、あとここまでですよと教えてもらえます。それまでは、いつどうなるかは、全く教えてもらえません。ある時期までは、辛抱あるのみです。
 平成元年(1988年)の後半から今まで、苦労の連続です。どうなってしまうかわからないようなピンチに何度も立たされています。その都度、とにかく上の声を信じ、願うことによって救われてきました。「信じるものは救われる」と言いますが、まさしくその通りです。正しいものを信じれば、どんなピンチでも、うまく切り抜けられるものです。気をつけなければいけないのは、上の声が全て正しいわけではありません。また、霊が喋っているのかも知れません。その声が正しいかどうかの判断をしながら行動しなければいけません。でも、正しくない声の通りに行動したとしても、一時的に痛い目は合いますが、自分を良くし他のためと思う気持ちがあれば、必ず正しい方向へ導かれます。そして、正しい声とそうでない声を区別する力がさらに強くなり、嘘を見破る力も増していきます。

 犯罪のようにつく嘘は別として、自分をごまかしたり、有利にしようとしたりする嘘は、意識しなくてもついてしまうものです。心の中で思っていることと、喋っていることが違わないようにしてください。嘘と言うのは、いつかはばれるものです。嘘をつくなら、人のためになる方便の嘘だけにしてください。(全ての人が、素直であれば、方便の嘘も不要ですが。) それと、願うと言っても、自分や自分が関連する者だけを中心にした願いは聞いてもらうことは出来ません。自分が助かる分、それ以上に他のためにならなければいけないと言うことです。そういう意味では、人のことを願うほうが、叶う確率は高くなります。自分の願いが素直に聞いてもらえるようになれば、いかに他のために生きているかの証になります。(ただし、欲が強い場合も、かえって聞いてもらえます。)
 筋書きなのに願うことは疑問に思われるかもしれませんが、心で強く願うことにより、放出された波動のエネルギーが他の心を動かし、自分の書いた筋書き通りになっていくのです。従って、あなたが人に対して何も出来ない状態であっても、心の中で常に人の幸せを願うことにより、他の人が幸せになっていくのです。
 思うということも、その念が強いと、願うと同じことになります。良い事を思っているのはかまいませんが、悪いことを思っていると、その波動が知らない間に放出され、そのようになってしまう可能性があります。決して何事も悪いように思わないことです。
 嫌なことがあっても、すべてプラスに考え、怪我の功名でも良いから、このことで次は良くなるのだと思ってください。これは、筋書きが終わっても同じことです。今は、筋書きだからその通りにしかならないですが、筋書きが終わってからだと、もっと悪い結果になるかもわかりません。くれぐれも悪いように考えないことです。と言っても、プラス思考がどんなことか理解するのも難しいことです。まずは、過去にこだわらないことです。

(7)
 苦労することは嫌なことですが、苦労し耐えることにより、あなたの心のエネルギーが増し成長していくのです。それがひとつ終わると、さらに違う苦労があなたの心を大きくしていくのです。ここまで心が成長したら良いと言う時まで、それが続くのです。でも、愚痴をこぼすとその分エネルギーが減少しますので、ご注意ください。
 平成13年7月に、一つ屋根の下で永遠にに暮らせることが出来るパートナーに出会えることが出来ました。そのパートナーは、私が地球に生まれる前から、ずっと一緒に過ごしてきたパートナーですので、再会ということになります。二人になると、一人では処理出来なかった波動も処理出来るようになり、今まで解決できず、苦労してきたことが、これでなくなります。
 と思っていたのですが、3年後、これは間違いであることが分かりました。私の本当のパートナーは地球人として生まれてはいなく、私が地球人として生まれたときから背後霊として私に憑いていることが分かりました。そして地球人の肉体に一時的に入り私のパートナーであるがごとく振る舞っていたのでした。平成16年(2004年)にはその地球人の肉体にはもう入ることはなくなり、再び一人で波動を処理するようになりました。しかし、私のパートナーがいつも背後霊として私に憑いていてくれることが分かり安堵しました。時々背後霊として憑いていてくれるパートナーとテレパシーで話すことがあります。また輝く白い点として見ることもあります。今後地球人の肉体に宿ることはまたあると思います。詳しくは、Part4[心]をご覧下さい。

 私は、前半は思い切り苦労しましたが、前世でさんざん苦労されてきておられる方は、現世は言うほどの苦労はなく、人のために生きていくことが出来るはずです。覚醒されて、上からテレパシーで動かされていることがわかっても、そう苦労するようなことは言って来ないと思いますのでご安心ください。現世で苦労されている方は、前世での苦労が足りなかったと思います。現世の後半、もしくは、来世には その苦労が報われます。
 自分だけが得をするような生き方をしていながら苦労がない方は、人のために生きて苦労ない人とは意味が違います。それが悪いことだとは言えません。それがよいからそういう筋書きを書いたはずです。自分だけが得をするような生き方は、間違っているということに気がついていただければそれでよいです。たとえ気がつかなくても、心が残れば、それなりに幸せにはなれます。この筋書きは、全ての心が幸せになるように作られていますから。
 今苦労をされている方は、自分の苦労を人のせいにあわさないでください。たとえ、まったく人のせいで苦労していたとしても、あなたは その苦労があることによって、あなたの心が良くなっていくのです。その相手を憎むどころか、感謝するぐらいにならないと駄目です。嫌なものは、嫌ですが、避けようとすればよけいに嫌になり、心は萎縮してしまいます。それが心の糧と思えば、あなたの心はより大きく綺麗になり、その苦労からも抜け出ることが出来るようになって行きます。

(8)
 「生きがいの創造」の本の中に、分岐点のことが書かれています。この分岐点の意味を勘違いされている方がおられると思いますので、付け加えておきます。
 分岐点と言っても、色々なものがあります。その中で注意しなければいけないのは、楽できる道と、苦労する道の分岐点にさしかかったときです。
 誰しも、苦労はしたくはないと思います。だけど、自分の心を大きくしようと思って書いた筋書きは、苦労することによって、それを得るようになっています。
 もし、楽をする道を選んでしまったら、あなたの心はそれ以上大きくならないと言うことです。違った見方をすれば、「あなたの書いた筋書きは無理があったので、これ以上苦労してもかえって駄目になります。これからは、悪い心を出すだけでよいから楽をして生きなさい」と言うことになります。悪い心は出すことによってなくなっていきます。完全になくなれば、あなたの心は清くなるわけです。ただし、その分だけ心は縮小します。また、その間は、周りの人にかなりの迷惑をかけると思います。それが人殺しの心であるならば、迷惑どころの話ではないです。と言っても、悪い心をなくさなければ、みんなが幸せに生きることは出来ません。やむをえないものはやむをえないと言うことです。筋書きだからこそ許されることなのです。この筋書きが終わって、もし、悪い心を少しでも持っていたら、その心は一瞬に抹消されてしまうようになっています。
だからこそ、筋書きによって、全ての心が清くなるようになっています。言い換えれば、この筋書きは、全ての心が幸せになるようになっています。
 私の文章には、「言い換えれば、逆に見れば、違った見方をすれば」の言葉が多いですが、物事を一方向から見ないということです。反対から見たり、色々な角度から見るようにしてください。また、すべての情報を加味して思考してください。嫌なことを考え始めると、そればかりに集中してしまい、脳の思考回路から他の情報が除外され、嫌なことだけが増幅してしまい、とんでもない結論を導き出します。常に、全体を見て思考するように心がけてください。

(9)
 守護霊や背後霊の関係についてお話しておきます。
 私の頭上には、常に三機のUFOがついていると言いましたが、これが守護霊にあたります。私は役目上、常に三機ですが、普通の人は、一機だけです。希に、人によっては、交代する場合もあります。その人の役目によっては、全くつかない人もいます。たくさんついているから、偉いとか言う意味ではありません。あくまでも役目上そうなっていると言うことです。
 背後霊と言うのは、あなたのそば、おもに背後について、筋書きの手助けをしている霊です。邪悪な心は一切持っていませんので、接すると心地よい感じになります。霊のまま行動するのですから、安全なUFOに乗って上につく守護霊よりも能力は高いことが多いです。その反対もありますが。(地球上にいる霊が背後霊のように、振舞うときがありますので、ご注意ください。)
 背後霊は、あなたの心の中に入ってくることもあります。筋書きの中心人物となる人には、たくさんの背後霊がつくことがあります。これも、たくさんついているから偉いと言う意味ではありません。筋書きが成り立つためには、そうしなければいけないということです。偉いと言う言葉を使いましたが、本当は、誰が偉いと言うわけではありません。一人一人の心が発生した時点を見れば、すべて同じように生まれた心なのです。
ただ一回の奇跡・偶然がそれを創ってしまっただけなのです。ところが、そのとき、運悪く能力の差が出来たり、悪い心が出来てしまったのです。
 どんな極悪人の心でも、なろうとしてなった心ではないのです。そういう意味でも、人を責めたり、恨んだり、憎むこともおかしなものです。能力の差は確かにありますが、それによって、人は差別されるものではありません。能力ある者は、能力ない者を助けなければいけません。でも、今の世の中、そうはなってはいません。能力あるものが得をし、能力ない者をけなすこようなことばかりしています。 人のことをどうこう言う人は、必ずその人にも何かあります。地球人としての命を終え上に行ったときに自分がしてきたことを全て反省させられます。「真実を告げる書」に書かれているように、裁判官なりとも、裁きを受け反省させられます。出来れば、地球人でいる間に反省しておき、なおかつその償いをしておくことです。人のことをどうこう言うよりも、まず自分という人間をよく見てください。
 話がそれましたが、このように普通の人には見たり感じたりすることのできない色々な霊が、私たちをコントロールしているわけです。中には悪霊のようなものもいますが、これも筋書きの大事な一員です。
 背後霊や守護霊と言うよりも、みんなが一団となって筋書きを実行しているのだと思ってください。

(10)
 「生きがいの創造」の本に、あなたが自分の人生設計を作るとき、アドバイスをしてくれる人がいると書いていますが、それが私たち地球人を作ったエロヒムです。
 エロヒムは、私たち地球人が失敗作であったため、地球人を一旦滅ぼそうとした時がありました。その後、思い直し、エロヒム自身も心を入れ替え、何とか地球人を一人前の人間に育てようと、ある方法を思いついたのです。それは、何千年という時間をかけて、こつこつと私たちを正しい心に導いていく方法だったのです。
 占いやノストラダムスの予言や聖徳太子が1000年先まで予言したことなど、なぜ出来るのでしょうか。それは、既に先が決まっているからです。エロヒムは、地球人を正しい心に導くために、大きなドラマを演出したのです。そのために、地球人を催眠術をかけたような状態にして、このドラマが間違いなく進んでいくようにしたわけです。筋書きとして先がはっきり決まっているのですから、占いや予言が100パーセント的中しても、まったく不思議ではありません。
 また、この筋書きにはエロヒムだけではなく、全宇宙の宇宙人が関与しています。それが証拠に最初に私の上についていた宇宙人はエロヒムではありませんでした。
 「真実を告げる書」には、エロヒムが自分たちを創造した宇宙人を知ったのは、最近のように書いています。でも、これは方便の嘘です。実際はエロヒムが地球人を抹殺しようとしたとき、エロヒムを創造した宇宙人からテレパシーによって、「こうしなさい」と言われたわけです。 そして、本当に出会えたのが最近と言うわけです。
 エロヒムは、自分たちが神のごとく、地球人に対して振舞って来ました。従って、私たちが神や仏とあがめるのは、エロヒムのことになります。でも、この宇宙を創造し、人間を創った本当の神がいます。エロヒム自身も、自分たちが誰かに創られたということはわかっていましたが、本当の意味での神と言うものを認識、理解することが出来なかったのです。従って、「真実を告げる書」には、神という存在を否定するかのように書かれていますが、そうではありません。そう書けなかっただけです。
地球の自然を創り、さらに私たちを創ったエロヒムと言えども、宇宙全体から見れば、地球人を除いて、下から二番目のランクの宇宙人です。

(11)
 宇宙人のランクは100まであります。心が神に近づくほど、ランクは上がって行きます。また、その能力も上がって行きます。UFOなしでも、宇宙を飛び交うような宇宙人もいます。そのような宇宙人でも、地球人として生まれ変わっている場合もあります。また、悪霊のように振舞って、あなたをいやな目に遭わしているかもしれません。(そうすることによって正しい方向へ導いてると言う意味です。) このような宇宙人は、この筋書きのお手伝い役として来ている訳です。ランクが上の宇宙人ほど、縁の下の力持ち的な役をしています。今、表に出て活躍していることはありません。レベルの低い宇宙人でも、自分の能力を上げるため、地球人として生まれ変わっている場合もあります。
 どんな心であれ地球人として生まれたからには、元は完璧な心であっても、何か悪い心を持って生まれてきています。どんなに優秀な方も、今の自分は これでよいと思わず、常に自分を良くし、他のために生きることがどんなことか学んでください。そして、地球人の生みの親エロヒムを尊敬し、その指示に従ってください。あくまでも直接の生みの親はエロヒムです。逆に言えば、生んだ以上には、その子がひとり立ち(年齢にこだわらないでください)出来るまでは、親の責任だと言うことです。生むことの重大さ、その責任の重さをご理解ください。「真実を告げる書」に書かれているように、エロヒムの中でも永遠に生きる者は、子供を生まないと言っています。(本当は、子供を育てることによって、自分が育てられているのですが。) また、ランクの高い宇宙人の方も、地球人として生まれてきていますが、お手伝い以外のことはいたしません。この地球を直接に理想の姿に導くのは、あくまでも地球人と、その生みの親エロヒムなのです。と言っても、地球人の手でどうにもならなくなったときは、ちゃんと助けてくれますので心配はいりません。でも、それまでは自分たちの手で出来る限りのことはしなければいけません。
 それと、この筋書きのために造られたダミー(偽)の宇宙人(目の大きい頭でっかちの、ちゃんとした地球人の格好になるのもいます。)がいますのでご注意ください。地球に墜落したUFOもダミーです。この筋書きのために創られたものです。
 この筋書きは、複雑巧妙に出来ていますので、そう簡単には理解できるものではありません。この話を信ずるのも筋書きだし、信じられないのも筋書きです。それがよいから、そうなっているのです。

(12)
 宇宙人のランクを波動と言うレベルで見ると、ランクが高いほど波動のレベルも高くなってきます。宇宙の中心からは、七つの波動が出ています。この波動を利用することにより、色々な物質やUFOのような乗り物を創造するわけです。その波動のレベルは、星ごとにより異なります。私たち地球人は、七つの波動のうわべだけの荒い波動しか使っていません。UFOのような乗り物を作れるような波動には、まったく及びません。
 波動のレベルを次元という言葉で表してもかまいません。UFOのような乗り物を作るには、地球の波動を3次元とすれば、せめてそのひとつ上の4次元のレベルでないと作ることは出来ません。
 地球人の頭上には守護霊と呼ばれるUFOがつき、さらに母船となるUFOがあり、また、さらにほかの役目をもったUFOが飛び交っているわけですら、地球の周りには無数のUFOが存在することになります。なのになぜ見えないのでしょうか。それは、低い次元の波動からは高い次元の波動のものは、見ることも感じることも出来ないからです。
私がUFOを見たといっても、それは、UFOの波動を地球の波動に合わせてくれたから見ることが出来たのです。宇宙人が他の星を訪問するときもその星の波動に合わせてからUFOを降ります。 このHPのタイトルが波動合わせになっているのは、地球の波動がさらに高い波動に合うことを願ってつけたものです。
 エロヒムのような低次元の波動からは高次元の波動は見えませんので。「真実を告げる書」に書かれているように、エロヒムが自分たちを創造した宇宙人をどれだけ探しても見つからなかったのは当然です。
 もし、あなたがUFOを見ることが出来たなら、わざわざあなたに見えるようにしてくれたわけです。それとUFOは普通、発光しません。火の玉のようなものを見ただけでUFOと感違いしないようにしてください。それは、プラズマのようなものかもしれません。その姿、形、色をはっきりと確認できないものは、UFOでない可能性が大きいですのでご注意ください。先ほど言ったように、わざと見せるようにしてくれているのですから、見えるときは、はっきりと見えます。ただし、筋書き上、わざと紛らわしく見せる場合もあります。
 地球上での話ですが、心霊写真などで、部分的に、足や手などが写らなかったりすることがあります。これは、その部分だけがシャッターを押した瞬間だけ別次元の波動に変わってしまったからです。一時的に自分だけが別次元の波動に変わり、その間自分の存在をわかってもらえなかったという実話もあります。
 宇宙の話に戻せば、地球の次元で見た限りは、月や火星などの索漠としたところにも、高次元の宇宙人は緑豊かな大自然を創り出すことできます。波動が違えば、同じ空間内でも全くの別世界を創り出すことが出来るわけです。実際、エロヒムが今の地球人を創る前から住んでいた地球人は、今は、火星や金星などに住んでいます。月も宇宙人の基地として使われています。(この話は真実を告げる書には書いてないです。)
 波動の話は、とりあえず興味ある方のために書きました。波動の話は難しく理解しづらいかも知れません。今はこのことよりも、自分を良くし、他のために生きることです。波動の話はそれからでもよいです。

(13)
 私が、エロヒムのことを知ったのは、平成11年(1999年)の前半だったと思います。上の声を聞きながらインターネットでHPを検索していると、偶然、エロヒムのホームページが出て来ました。早速「真実を告げる書」を買い、読みました。それにより、今まで疑問に思っていたこと、確信の取れなかったことが取れるようになりました。 この後、エロヒムと連絡を取ることが出来ました。連絡が取れてからは、頭上にいる三機のUFOとは別に、エロヒムのUFOも常に北東の方向につくようになりました。 たまにその方向で、きらりと光るものを見ることがあります。
 連絡を取ると簡単に書きましたが、私はエロヒムには、本当の自分が何者か明かさずにこの地球に生まれてきていますので、連絡を取るのには苦労しました。自分の本当の心の波動をエロヒムの波動に合わすために、たくさんのエネルギーを使っています。
 このとき、創価学会からいただいた「ご本尊」(何か言葉をしたためた掛け軸)をテレパシーの送受信機として使わせていただきました。創価学会に限らず、他の宗教であっても、このような「ご本尊」にあたるものは、お経などを唱えることにより、エロヒムと連絡が取れるようになっています。頭の中で「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」などと唱えるだけでも、あなたの願いは、聞いてくれるようになっています。特に、霊に取り付かれた時には、「南無阿弥陀仏」はSOSの信号のような役目をしますので、信じられる方はどうぞ唱えてください。また、悪い霊ほど、この言葉には弱いです。霊を封じ込める力もあります。
 宗教にも色々ありますが、エロヒムが直接さしずして創った宗教は大丈夫ですが、霊が動かしている宗教もあります。このような宗教は問題がありますのでご注意ください。昔からある宗教は比較的大丈夫ですが、途中から霊が取り付いて分派しているものは注意してください。新興宗教もご注意ください。創価学会や天理教は、エロヒムが直接指示したものですので心配要りません。それ以外の宗教は接していないのでわかりません。それで思い出しましたが、平成元年の前の年に、天理教にも少しお世話になりました。宗教を信仰する場合に気をつけて欲しいのは、信ずるものはあくまでも神仏(エロヒム)です。宗教はその手段の一つです。宗教そのものは地球人が創ったものですのでご注意ください。それと宗教本来の目的は、全ての人の幸せを願うことです。排他的、絶対的な考え方はなくさないといけません。「真実を告げる書」にあるラエリアンムーブメントでも同じ事が言えます。
 お経などは、その意味は、全くわからなくても良いです。わからないほうが、素直にあなたの気持ちを上に伝えることが出来ます。お経を唱えているとき、あなたの願いが波動となってお経に乗り、上に伝えてくれます。波動の科学により、そのような仕掛けがしてあるのだと思ってください。お経の意味を知っていると、その意味のことだけしか伝えられなくなる恐れもあります。願いの内容によって、あくまでも筋書き通りですが、エロヒムは、その通りにしてくれます。具体的な内容は、何も願う必要はありません。あなたの能力で思うこと、考えることは、上から見れば、ままごとにも劣ります。上は、何かも知っています。筋書きがどうなっているのかも知っていますし、あなたの心の中もすみずみまでよく知っています。あなたよりもあなたのことをよく知っています。嘘をつこうが隠し通そうが、あなたの心の中は、すべて知っています。何もかもお見通しです。自分にやましさがあると、心の中を見られたくないかも知れませんが、そうでなければ、自分の心の中を知ってもらえる方が、ありがたく嬉しいことです。いつでも自分の心を見られてもよい状態にしてください。
 もう一度言います。上の能力は、あなたと比べ物になりません。あなたが何をどう思っても、それが絶対正しいことかどうか判断つかないはずです。でも、上はどんなことでも、正しい判断をしてくれます。もし、上の方にわからないことがあっても、さらに上の方に聞いて判断します。テレパシーは、インターネットのような構造になっていますので、いつどこにいても知りたい情報を得ることが出来ます。

(14)
 平成14年から連絡を取っているエロヒムは、私の北東に位置するUFOに乗っているエロヒムだけです。最初は、「真実を告げる書」に出てくるヤーウェと話をすることが出来ました。本では堅苦しく感じるかも知れませんが、陽気で楽しい人です。
 後は入れ替わり立ち代り、色々なエロヒムがそのUFOに来るようになりました。途中から、以前に子供のころから私の頭の中に入っていた霊がそのUFOに、常駐するようになりました。と言うことは、その霊は、エロヒムだったと言うことです。
 エロヒムを創ったひとつ上の宇宙人が一人だけ出入りすることがあります。ヤンという名前の子供(永遠に)ですが、エロヒムより能力は上です。心の本質を読む能力にたけています。
 それ以外に連絡を取れる宇宙人は、頭上にいる守護霊の宇宙人だけです。もしくは、背後霊として降りてきている宇宙人です。今は、それ以外の宇宙人と交信すると、私の今の役が遂行できません。

(15)
 筋書きと言うのは、その人の本当の役目は隠されています。今、あなたがしている仕事や日常生活は、本来の目的、役目を果たすためのものです。
 目的、役目は、人によってさまざまです。自分自身の心を浄化するためやお手伝いに来たものや脇役(これもお手伝いですね)として生まれてきたものなど色々です。
 私の場合だと、平成14年頃の役は、Part2[オーラ]のところで書いたように、霊を取っては浄化し、上(宇宙船)に上げることでした。つまり成仏させることでした。そのときはそのことに集中しなければいけませんので、よけいな情報、知識が入らないように、その時の職業、環境、能力は、その役に相応しいようなものとなっていました。自分が選んだ職業、自分で選んだ環境のようであっても、本当は筋書きとして自分の役目を果たすにために仕組まれたものなのです。
 あくまでも役ですので、その人の本来の能力と筋書きの能力は、全く別のものです。間違いだとわかっていることや、馬鹿な役もしなければいけません。
 地球人で天才的な能力と言っても、宇宙人から見れば、足元にも及ばない、ずっと低い能力です。そんな能力を競争したり、自慢したりしているのが今の地球人です。また、欲があるが上に持たされた能力や幸運もあります。
 例えば、お金が欲しくてたまらない人は、その心を出してしまえば、なくなって清い心となりますので、お金持ちの役をします。お金は欲しいが、その欲を自分で打ち消せる人は、お金持ちになることは出来ません。お金が欲しいと思っている限り、経済的には苦しい思いをしなければいけません。かなり以前は私もそのうちの一人でした。また、精神的肉体的な色々な苦しみは、自分のためにもなるし霊を浄化するには必要なものです。苦しみが色々なことを解決してくれます。この筋書きの過去から現在、未来の苦労が全てを解決してくれるのです。苦労に感謝です。また、苦労をしてくださっている方々にも感謝です。
 全てがそういうわけではないですが、名誉や栄誉や権威などの欲が強いと、そのような役につくことが出来ますし、それだけの能力も持たせてもらえます。競争心や勝利欲が強いと、またそれなりの能力を持たせてもらえます。逆にみじめになる心を持っていれば、みじめな役となります。嘆く心があれば、嘆くような事が起きます。人を憎む心が強いと、憎まなければいけないような事が起こります。 物事には、表と裏があります。あなたがしている事は、本来の目的ではありません。あなたやその周りの方の何かを解決するために、それをしているのです。裏を読めるようになると解釈が広がり、真にさらに人のためになることが出来ます。

(16)
 どんなことでも、自分を中心にして物事を考えないでください。自分を中心にすると、自分の能力以外のことは理解できなくなります。自分を中心にしなければ、エロヒムがこの地球の自然を創り、地球人を創ったことも理解できるし、今は筋書きであることも理解できると思います。
 上の能力は、私たちの能力とは比べ物にならないものです。
 人の頭を良くする事や病気をなくしたりすることはわけない事です。でも、心を良くする事は、全宇宙の科学をもってしても、神の能力をもってしても難しいことなのです。一人一人が自分を良くし人のために生きようとしなければいけないのです。そして、そのために今の苦労が必要なのです。どうにもならない心は、「真実を告げる書」に書かれているように、宇宙の塵にならないとも限りません。逆に、自分を良くし、他のために生きようとするものは必ず救われます。

(17)
 「真実を告げる書」にも書かれている通り、私たち地球人はエロヒムの失敗作ではありますが、出来の悪い肉体(脳を含む)に心を宿すことにより、自分たちの持つ悪い心を浄化することが出来ます。エロヒムには悪いですが、これこそ、怪我の功名です。万事プラス思考です。
 私の話は、現時点では、信じられない方のほうがほとんどだと思います。でも、信じていただける方もおられます。一人でも信じていただける方がおられるならば、私の話は無駄にはなりませんし、また、私の役目のひとつとして、やらなければいけないことです。これからどのように展開していくのかは全くわかりませんが、全ての心が幸せになることをひたすら願い、上を信じて、その導き通りに生きていくだけです。

 その人をどれだけ正しい方向へ導こうと思っても、どうにもならない場合もあります。出来る限りのことをしても駄目ならば、そっと見守るだけにしておいてください。後は、上の方にまかせればよいです。また、宇宙人などの話をすると、おびえてしまう方や全く信じられない方もおられます。そのような方もそっとしてあげてください。

(18)
 平成14年(2002年)の中頃ぐらいに、この世には実を持つ人間界と虚である霊界が混在していることに気がつきました。実は私たち人間界ですのでわかりますが虚と言うのは理解しがたいですので説明は省略します。人間界から霊界は普通の人では見えませんし感じません。霊界から人間界は見ることが出来るし入り込むことが出来ます。
 霊界は人間界と違ってそんなには秩序が乱れておらず統率が取れていますので悪いことをする霊はごくわずかです。ただし人間界に入り込んで私たちが気づかぬうちに、この筋書きを操っています。
 霊界の人口も人間界と変わりませんのでその霊を見たり感じたりするとその数に驚くのは当然です。
 通常、人間界で悪さをする霊は霊界の霊ではなく、人間界の霊が成仏できなくこの世をさまよっている死霊や人間の心から一時的に離脱した生き霊です。
 私は、2002年まではこのような霊を自分の中に入れ浄化しては上に上げていました。その後は人間界の生き霊や死霊を入れることはなく霊界の霊が入れ替わり立ち替わり入って来ていました。だけど霊界の霊も完全な心ではないので入ってきた霊を修正しては外へ出していました。この場合でも多少の苦しみはありますが人間界の霊が入ってくることを思えばずっと楽でした。その後、霊界の霊も入ってこなくなりました。そして、今まで修正してきた霊界の霊が私の背後霊となって、人間界の霊が浮遊しているのを見つけると浄化して上へ上げていてくれます。人を治療していると人に取り憑いた霊が出てくることがあります。このような霊も霊界の霊が上へ上げていてくれます。

(19)
 「真実を告げる書」を読んで頂くと分かりますが、波動合わせのページに書いてあることとは相反するところがあります。特に霊魂や神という存在を否定するようなところは全く相反します。これはヤーウェがラエルにすべてを明らかにしなかったためにラエルが勘違いしてしまったのです。
 この地球に生まれてきた役目は人それぞれです。ラエルは、地球人のある人々を導くためにこの世に生まれてきています。その役を果たすために勘違いした方がよいからそうなっているのです。そういう筋書きなのです。
 ラエリアンムーブメントのホームページを見ると色々な著書がありますが、本当に参考になるのは、「真実を告げる書」だけです。ラエリアンムーブメントやエロヒムについて書かれていることで、これ以外に(聖書は除く)参考になるものはありません。
ラエリアンムーブメントについては、いずれ日記のページで触れてみたいと思います。

 次のPart4(心)では、幸福感、恋愛、夫婦愛、人間愛などの具体的な心の持ち方や心の仕組みなどを話していきます。

 


 

Part4[心]

 

 

 

 

 

 

 

■ Part4[心]はホームページに掲載せずCD-Rと一冊の本(手作り)にまとめました。
概略はこのページの下方に書かれています。

■ウェルテック・ジュジュに3,000円以上のご寄付をして頂いた方に差し上げています。

※ただ程怖いものはない

人助けするにもお金が必要です。
ご寄付頂いたお金は、ウェルテック・ジュジュの運営費として使わさせて頂きます。

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そうすると申し込みフォームが立ち上がりますので必要事項をご記入の上、送信して下さい。
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■Part4[心]の内容

 前半と後半に分かれています。

・前半

下記のテーマに分けて、人間としての正しい心持ちを説くとともに、宇宙・生命・UFO・超能力・心・生まれ変わり・波動の謎を解いています。

1.始めに
2.心と肉体
3.父の死
4.幸せ
5.人間愛
6.恋愛
7.欲と拘りと感情
8..お金と経済
9.役目と能力
10.孤独と集団
11.波動のやりとり
12.波動の科学
13.筋書きの矛盾
14.無の矛盾
15.エトセトラ
16.終わりに
以上、総ページ数92頁
 

・後半

語録形式で前半の復習と補足を短い言葉でまとめたものです。
189のタイトルで総数880の語録としてまとめられています。

■Part4[心]の一部を抜粋しました。

 この抜粋を掲載したのは、どのような内容なのか知っていただくためという意味もありますが、今現在苦しみをもっておられる方を少しでも和らげたいという思いも含まれています。
 人間として正しい心持ちになれば苦しみはなくなります。ならば人間として正しい心持ちとは何かを教えてあげるならば、その方は苦しみから解放されることになります。
 とは言っても人間として正しい心持ちをすべて理解することは容易なことではありません。この抜粋は、その中から理解しやすく誤解のないもの、そしてどなたが読まれても無難であろうと思われるものを掲載しました。

■テーマ

1.始めに
 平成元年に覚醒し、人間として正しい心持ちとは何かを追求し始め、十九年間の歳月を要してようやくこれだけの悟りを開かせて頂きました。執筆するに当たっては手痛い目に遭った中でもそれに対する十分な時間を与えてもらいました。Part4の原稿は半年足らずで書き上げることができましたが、それを検証するために二年余りの歳月を要しました。Part4の内容が決して間違いでないことを確認するため、自分自身を肉体的にも精神的にも極限の状態に置き十分に検証しました。ここにPart4の内容が決して間違いでないことを宣言しておきます。


2.心と肉体
 心と肉体(脳)は同じものである。いや別のものである。賛否両論があると思います。真実をご理解されている方には無用のことかも知れませんが、ここでは心と肉体は別のものであることを前提にしてお話しします。

 まず、心が肉体のどこに位置するかを説明します。

 それでは脳は何をしているのかということになります。

 そう細胞ひとつひとつにも心が入っているのです。心がないことにはウィルスのような極小の生命体であっても存在しえないのです。

 自分の頭の中に複数の心があることは、自分の心を岡目八目(第三者は当事者よりも情勢が客観的によく判断できるということ。) として見るとよく分かります。自分の頭の中でいろいろな心が言い争っていませんか。つまり葛藤していませんか。


3.父の死
 私は父の臨終に立ち会い、その時、心がどう離脱するのか見ることができました。
一般の者が人の死を見ることは稀です。貴重な体験となりました。

 いよいよ心電計が途切れ途切れとなり、亡くなることがはっきりと分かった時、上からUFOが降りて来るのが分かりました。上空で停止したかと思うと、すぐさま迎えが降りて来て心電計がピクリともしなくなった時、父の心は視床下部から抜け、またたく間に迎えと一緒に上がって行きました。父の心は、この世を全くさまようことなくあの世へと旅立ちました。わんぱく小僧の心と怖い心は上へ上がることはありませんでした。

 これだけ苦しんだにも関わらず、父の心は、来世は人間として生きるのを諦めたということです。
 生前、父は「人は死んだら終わり、来世などはない。」と言っていました。生まれ変わりの理論が分かるだけの心ではなかったということです。あの世での休養が済んだら自分の生まれた星へと帰り、自分の能力に相応しい役目をもって生まれ変わるでしょう。人間に仕える身となり、自分の能力を最大限に発揮できると思います。

 それと、どんな育てられ方をしても、親があって自分がいるのだということを忘れないで下さい。


4.幸せ
 幸せとは一体何でしょうか?

─幸せとは誰にでも与えられるもので、永遠に続くものではないでしょうか?─

 そんなものこの世にあるのかと思われるかも知れませんが、あるのです。

 私が悟りを開くまで、座右の銘としていたことわざに「艱難(かんなん:苦労)汝を玉にす。」というのがあります。まさしくこの通りなのです。自分で心を丸く大きくするには苦労しかないのです。苦労は心の糧なのです。

 苦労によって、心を玉にする方法は二つあります。一つは宝石をカットするように、もう一つは凸凹のところを埋めていく方法です。これだと

 自分の好むものが快楽的な場合は、一時的な幸せ感は得られますが、結果的には身体を駄目にします。幸せの基本は健康です。いつかは快楽を追わなくてもよいようにして下さい。

 自分のものというのは、自分の心しかないのです。それ以外はすべて与えられたものなのです。また自分の肉体が存在するには、この宇宙があり、地球があり、自然があり、食べ物があり、衣服があり、家があり…それらを作ってくれる人がいて、あなたを守ってくれる人がいて、ありとあらゆるものがあって、すなわち他があって自分が存在できるわけです。

 地球人がこの世に生まれ出てきた理由や役目役割は、人それぞれです。いろいろなパターンがあり千差万別ですので具体的なことは述べることはできませんが、生まれてきた理由や役目役割に関わらず、最終的には無に帰しない限り、全ての心が幸せになれるようになっています。またそれがすべての心に共通する目的です。

─この地球で誰もができること─
「自分を良くし、全ての心が幸せであるように願うこと。」


5.人間愛
 愛とは特別な感情なのでしょうか?
 いいえ、人間が抱く愛とは、万物に対する普遍的、共通的な心の持ち方であって、感情ではありません。人間の抱く愛(以後、人間愛と呼びます。)を他の言葉で表すなら

 動物にも愛はあります。でも全ての心が幸せであることを願えたとしても、それを叶えるだけの能力はありません。自分の仲間、自分に関するものにしか愛を注ぐことができないのです。これが

 人間は考える葦と言います。確かに今の地球人を見ていると動物のような特質的に強い肉体を持たない分、知恵を使い、工夫を凝らし、強く生きているかのように見えます。特に現代科学の進歩発展は目を見張るものがあります。これから先、さらに大きな発見がなされ、驚嘆すべきでき事が起きて来るでしょう。
 でも、この現代科学をよく見て下さい。大きな災害が起きた時、またたく間に崩れ去っていくのを感じませんか。地球温暖化による異常気象はさらに激しさを増し、そこに地震による災害が加われば、

 地球人が本当に考える葦であるならば、自分で自分の首を絞めるようなことはしないでしょう。まして、本当に頭がよければ、この宇宙が偶然によってできたものではなく、誰かが創ったものであることもすぐ分かるでしょう。さらには私たちがこの宇宙で生きているのではなく、生かされているということにも気がつくでしょう。

 エロヒムの科学を見れば分かるように、本当の人間には、最低でも、遺伝子を合成し様々な動植物を創造し、組み合わせ、地球のような大自然の摂理法則を構築できるだけの能力があります。私たち地球人のレベルと言えば、エロヒムが作ってくれた自然の中

 この自然の摂理は、隕石が衝突するような天変地異の起こらない限り保たれるものであり、たとえ隕石が落ちたとしても、今のエロヒムの科学力なら修復できるものなのです。だけど今の地球を見ると分かるように、このまま自然破壊が進んでいくと、エロヒムの力を借りても修復できないところまで達してしまい、火星のような水も空気もない荒漠とした星になってしまいます。
 一体何がいけないのでしょうか?

 今、何故そうなっているのか、なぜそれがあるのかは、過去を熟知しているものでないと分かりません。それが歴史の重要さなのです。
 そのためには、不老不死であることは絶対条件となります。これもエロヒムのように科学が発達すればわけのないことです。ただ、それだけの心を持っていないとなれません。不老不死は、地球人のある者にとっては究極の願いかも知れません。でもいざそうなった時、人間として正しい心持ちでない者は自ら死を選ぶことになります。

 生きがいがなかったら、神とて退屈な宇宙になってしまいます。そこで神が人間に与えたものは、というより、そうすることが人間としての肉体を維持し、心を維持するもの、それが恋愛とセックスなのです。恋愛とセックスが人間の生きがいであることは「真実を告げる書」にも書かれているところです。ここで注意して欲しいのは、今の地球人の恋愛、セックスは、人間としての本当の恋愛、セックスではありません。従って、今あなたが思うところの恋愛、セックスではいきがいとはなりません。

 今、あなたがあなたの子供を愛するように、全ての子供を愛することができますか?
ならばそれは渇愛ではないでしょう。
自分が創造したものにものには最後まで責任を持たなければいけません。そういう意味でわが子に対し強い愛情を持つならばそれもまた渇愛とは言わないでしょう。

 時に人間愛は、相手を苦しめなければいけない時もあります。先ほど述べた、見て見ぬふりをするのもその一つです。それは相手が人間として正しい心持ちでない場合、それを正してあげようと一生懸命教えてあげてもどうしても分かってもらえないときがあります。そのときは、一層苦しみを与えなければいけないことになります。
 相手を叱り、また、相手を困難な目、嫌な目に合わせ、窮地に追いやることは、それが相手のためと思うならば、本当の愛の鞭かも知れません。そうでないならば、自分のうっ憤を晴らしているだけかも知れません。あなたがお釈迦様のような心でない限り、後者だと思った方が無難でしょう。

 今の自分の知識・能力で考えたことは最善策だと思っても、まだまだ他に良い方法があるかも知れません。自分の思いをなくして下さい。自分の意に反すること、自分の思うようにならないことが、かえって良い結果を生みだすのだと思って下さい。

 自分が最善を尽くした上で自分の思い通りにならない時は、そうならない方がかえって良い結果になるのだと考えて下さい。そして、そのようなことを何度か乗り越えていくと自分の思いが筋書きと一致するようになってきます。そこまで来れば、人間として正しい心持ちになるのは目前です。

 腹を立てて楽しいですか? 腹を立てて人を幸せにできますか? 腹を立てることを当たり前だと思わないで下さい。
 腹を立てないように自分を訓練しなければなりません。顔は笑って心の中で腹を立てていたのでは全く駄目です。訓練ですので、繰り返し繰り返し腹を立ててはいけないことを自分の心に命じていけば、何処かで必ず腹を立てる心そのものがなくなる時が来ます。どんな目に遭おうが腹を立てることはないです。

 時には片親がいない方がかえって強い子に育つ場合があります。離婚することが子どもにとって悪影響を及ぼすとは限りません。と言っても、人それぞれ色々な意味合いがありますので勘違いはしないで下さい。また、どんな育て方をしても真直に育つ子は真直に育ちます。家庭環境の良い悪いとは比例しません。


6.恋愛
 「色即是空」という言葉があります。
 いきなり難しい言葉から始まりましたが、この境地が本来の恋愛感を得るためには必要となります。辞書を引くと、色即是空とは「物質的な存在は空しいもので執着するものではない。色とは感覚で知覚できる事物、現象の意」とあります。(恋愛感は一般には恋愛観と書きますが本当は感じるものなので恋愛感と書きます。)

 となると、恋愛感は色即是空の境地だけでも語れないことになります。
 色即是空を簡単に言い表せば、

 私自身も、いろいろな超能力・超常現象を体験してきました。瞬間移動・物体貫通・空中浮遊・時間のコントロール…、オーラを見たり感じたり霊を見たりすることや波動を利用して治療すること、そして人の心の中の声が聞こえて来ることもあります。
 瞬間移動・物体貫通・空中浮遊・時間のコントロールは、今は封じられています。具体的なことは、いずれ日記のページで紹介します。時間のコントロールについては、Part5[時間と空間]で詳しく述べます。オーラを見たり感じたり霊を見たりすることや波動を利用して治療すること、そして人の心の中の声が聞こえて来ることは、まだ未熟ではありますが必要に応じて(筋書きとして)できます。
 私の場合、このようなことは科学的・論理的に理解できましたので、何の驚きもなくそれが当然のように受け止めることができました。またそのような超能力・超常現象を体験してきたことが、今の自分を支えとなっているわけです。

 ハンデがあったとしてもこの地球上にいる間だけのこと、わずかな時間辛抱すれば、自分の星に帰ることができ、そこでは身も心も美しい姿でいられるでしょう。ハンデには姿形だけでなく、知能・性格・五体・五感・六感(波動を感じる能力)・環境…と色々あります。
 と言っても、あらゆる面でハンデのない者も筋書上必要となりますので、ハンデのない者をまたどうこう言う必要はありません。
 この中で性格のハンデについて、具体例をあげておきます。

 恋の苦しみを生み出しているのは一体何だと思いますか。それは人間愛がないまま恋をしているからです。言い換えれば、自分を中心として恋をするからです。人間として正しい心を持たないまま恋をするからです。人間として正しい心を持たないだけでも苦しいのに、そこへ恋をするわけですから尚更です。

 これには、あなたの人間愛が深く関係します。どれだけ深い恋愛をしようが、人間愛のない者には、相手を幸せにすることはできません。また、本当の恋愛感が分かりません。求める側に確かな人間愛があれば、その恋愛は必ず実ります。なぜならば、人間愛を持つ者は形・時間・空間にこだわらず、恋の盲目とならず、全てを見て判断できるからです。また、それだけの人間愛があれば、確かなる恋愛感もあるでしょう。

 恋愛感には、心の中で思う理由は何一つありません。本当の理由はただ一つ、心の構造が一緒であることなのです。

 恋愛だけなら結婚は不要です。むしろ、自由に恋愛するなら結婚はしない方が良いでしょう。でも相手を守ろうとするならば、この地球では良い方法です。
 一般に、結婚は相手と一緒になりたい、相手を自分のものにしたい、結婚して子供を産んで幸せな家庭を築きたい…等の理由ですると思います。でも、これはすべて自己を中心としたものです。これでは動物的な幸せは得られたとしても人間としての本当の幸せを得ることはできません。結婚は自分のためにするのではなく相手を守るためにするのです。

 今、パートナーのおられない方、またパートナーがいてもかえって苦しみとなる場合は、それがあなたの心を成長させるのだと考えて下さい。


7.欲と拘りと感情
 「煩悩」という言葉があります。煩悩とは、辞書を引くと「心や体を悩ます一切の欲望」となっています。これを逆に言えば、一切の欲望をなくせば、心や体は悩むことがなくなることになります。但し、ここでいう一切の欲望とは、あくまでも心や体を悩ます欲望を指しているのであって、正しい意味でのつまり肉体を維持し人生を楽しむための欲望は入っていません。そのような欲望までなくしてしまったら、肉体の維持はできなくなるし、生きていくこと自体が味気ないものになってしまいます。

 神が宇宙を創った理由は分かりますか? すごく簡単なことです。

 人間以外の生物が楽しく生きられる方法はわかりますか? これも簡単なことです。

 犯罪者を憎むなと言っても難しいです。だから犯罪者がいるのかも知れません。(あなたの憎む心を取っているのが犯罪者なのかも知れません。)人を憎んだり責めたりする心もまたそうなろうとして生まれてきたわけではありませんが。

 人間がこの宇宙を楽しく生きるためには、まず欲望を不必要なものと必要なものに分けなければいけません。必要な欲望とは、皆が永遠に楽しく生きられるためのもの。不必要な欲望とは、

 煩悩とは「心と体を悩ます一切の欲望」となっていますが、心や体を悩ますのは欲望だけではないです。拘り(こだわり)や感情も、不必要なものは心や体を悩ますことになります。
 必要な拘りとは何でしょうか。

 あなたに人を思う気持ち(人間愛)があれば、まず清潔であること、そして相手が心地よく思えるようなおしゃれをすればよいのです。自己を満足させるために綺麗にすると、相手に不快な感じを与えます。逆に何もおしゃれをしない無精な格好も、相手に不快感を与えます。誰も見てくれる者がないときでも、健康であるため、また与えてもらった感謝の気持ちとして、いつも清潔で小ぎれいにしておくことです。
 見る相手の欲望によっても、自分のおしゃれは変わるかも知れません。相手の欲望が必要なものであれば、そのようにしてあげればよいです。好きな人に好かれようと、あるいは好きな人が望むからと言って自分を変えようとする人がいます。それが人間として正しい心持ちであるならよいのですが、そうでない場合は、自分も相手も戒めて下さい。

 おかしいけれど従わなければいけないものは他にもたくさんあると思います。でも、それに反発して、相手の心が良くなればそうしてもよいですが、反発を招くだけの時はそっとしておくことです。「郷に入れば郷に従え。」です。

 人間と動物の違いは、テーマ“人間愛”の中で述べていますが、動物は、自分もしくは自分に関係するものを守り生きていればよいのですが、人間は、自分以外のものを守って生きていかなければなりません。これは喜怒哀楽の感情も全く逆になることを意味します。

 地球人は健康を害するものでも、おいしいおいしいと言って、食べたり飲んだりします。そしてそれを喜びとします。この喜びは間違っていると思いませんか? 人間は、動物にはない味覚があります。その分、自制する心がないと不必要な欲望を生み出します。不必要な欲望を生み出すのは味覚だけではないことは既にお分かりと思いますが、機能があればあるほどそれを超える自制心が必要となるわけです。

 人間に与えられた機能を満足させようとしてはならないのです。人間と動植物の幸せ感は、逆であることをご理解下さい。

 悲しむことはありませんか? 私も泣くほど悲しんだことはあります。でもある時、気が付きました。悲しむということは、

 命の灯が消える時、人は悲しむものです。心の未熟な分、人間としての機能を完全に与えられていません。従って形・時間としての生死をコントロールできません。もし生死をコントロールできるならばそのことに対し、喜ぶことでも悲しむことでも、また怖いことでもなくなるでしょう。たとえ、生死をコントロールできなくても、生まれ変わりを信じられる(理解できる)ならば、それを悲しんだり喜んだりすることでないことが分かるでしょう。
 死というものは肉体が無くなるだけで、心そのものは何ら変化がありません。だけど、この世は宇宙では特別な場所です。肉体を失った心は、そのまま放っておくとさまよってしまうことになります。でも心配ありません。それまであなたを見守っていた心がちゃんと迎えに来てくれます。ただ、この世での未練が強く残りそれを断ったり、あるいは自殺したりすると迎えが去ってしまう場合があります。そうなると心のまま、この世をさまようことになります。

 地球人一人一人の頭上には円盤(UFO)に乗ってあなたを見守り、筋書き通りに動くようにコントロールしてくれる者(守護霊)がいます。その者があなたのお迎えとなるわけです。

 宇宙船に乗ると最初にすることは、この世での反省です。これは「生きがいの創造」に書かれていることと同じです。反省と言っても自分のしてきたことが正しかったかどうかの判断だけです。あまり嘘をついていると閻魔大王のような者が出てくるかも知れませんが、責めを受けるようなものではありません。寛大なものです。その判断さえしっかりできれば、

 悪行とは犯罪行為だけをいうのではありません。不必要な欲、こだわり、感情からの行為すなわち煩悩から発せられるものはすべて悪行となります。ということは、この世のほとんどの行為が悪行ということになってしまいます。これはお互いが苦を与え合っているということです。言い換えれば、お互いにエネルギーを交換し合っていることになります。従って、程度の差はありますが、一方だけが極端にエネルギーが減少することはありません。このとき相手から与えられた苦を自分のものにすることができる者は、

 宇宙船でメモリーの整理ということは、肉体を持たず心のままで夢を見ることになります。この世で悪行の多かった者は地獄のような夢を見るでしょう。善行多かった者は、天国のような夢を見るでしょう。それが天国と地獄の差です。いずれも夢ですので実在するわけではありません。本当の地獄があるとすれば、この世のことでしょう。
 ここでメモリーの整理が終わり夢からさめると、

 苦しみに耐えかねて、早く死にたいと思う人がいます。でもその苦は、自分の心を修正するものです。言い換えれば、苦というものは、自分の心が持っているものです。この宇宙で生きる以上、いつかは出さねばならないものです。自殺すると言うことは、苦から逃れただけで、なくなってはいません。自殺してもこの世に残り、心のまま苦を背負わなければなりません。だから自殺をすると迎えに来てくれないのです。


8.お金と経済
 経済の話と言っても、難しい経済論を述べるわけではありません。述べようにも、私にはそのような知識はありません。全く違う角度で経済を見てみたいと思います。

 お金と経済は切っても切り離せないものと思われていますが、本当にそうなのでしょうか? この世から、お金が突然消えてしまったら経済は成り立つでしょうか? 答は「成り立つ」です。ただし、地球人の全員が人間として正しい心持ちであることが条件です。
 辞書を引くと、経済は「国をおさめ、国民を救うこと(経世済民)」となっています。この文章の中には、お金という言葉は入っていません。国をおさめ国民を救えるならば、お金はいらないのです。

 あなたはいつも通りスーパーに買い物に行くとします。いつも通り商品をカゴに入れ

 お金というものの性質を述べておきます。

 ただ程怖いものはないと言いますが、お金のある世の中でただで手に入ることは、その分、心のエネルギーを支払っていることになります。これは心を縮小することにもなります。(Part4が有料であるのはそういう意味もあります。)


9.役目と能力
 地球人の能力と言うものは、宇宙人の足下にも及ばない低いものです。従って、この世の上に立つものは、この宇宙でそう能力のない者でも上に立つことができます。それと今は筋書きですので、今ある能力がその人の能力とは限りません。「あの人すごく頭がよい人だ。」と言っているあなたの方がずっと頭が良いかも知れません。
 頭の良い悪いだけではありません。運動能力や芸術などの能力も同じことが言えます。自分の本当の能力を精一杯使って、この世での能力としている場合もあるし、逆に本来の能力は発揮せずに筋書きとしてあてがわれた分だけを今の能力としている場合もあります。また、その人にそのような能力がなくても背後霊などが入って来て、その時だけ能力がアップし神業的なことをすることもできます。(反対に、悪霊が入って足を引っ張る場合もありますが。)
 それではこの世での能力・役目は何で決められているのでしょう。

 この世というのは修行の場、順風満帆では困ります。あなたが好むリーダーの下で、いつも不平不満なく楽しく仕事をしていたら、いつまでたってもあなたの心は良くなりません。あなたから見て嫌なリーダーの方があなたの心を修正してくれることになります。嫌なリーダーと思っているだけで本当は良いリーダーなのかも知れません。人それぞれの立場があります。お互いの立場をよく理解することです。と言ってもバランスが

 本当に嫌なことは、あなたの心の変化と共に消滅していきます。何事もあなたの心持ち次第です。

 合法的であったとしても、人に苦しみを与えるような職業に就いておられる方も心は縮小します。でも、そのような方は、それを承知で自分の筋書きを書かれたわけです。自分の心を人のために役立てて下さいという温かい心の持ち主だからこそ書けた筋書きです。

 姿形だけにとらわれている人には、以上の話は理解できないかも知れません。肉体は心の入れ物。こだわらないことです。広く言えば色即是空です。唯心論で物事を考えて下さい。姿形はあくまでもその心あっての姿形です。また、今は筋書き上の姿形です。

 良い性格、悪い性格というのがあります。良い性格を持って生まれれば、人に迷惑をかけることもないし、自分自身も楽に生きられます。しかし、それでは苦労がなくなってしまいます。心を修正するには苦という負荷が必要です。ならば、あえて悪い性格を持って生まれて来た方がよいことになります。そして自分の性格を良く知り、プラス思考できるようになれば、悪い性格も良い方向へと向けることができます。ここで注意して欲しいのは、

 表面的に良い性格であってもその中の心が悪いと何か大きなトラブルがあった時、本性が現れます。日頃綺麗ごとを言っている人でもいざとなるとどうなるか分かりません。人間としての心を持てない者は、窮地に立たされたとき、どうしても先に自分を守ろうとします。でも、それがその人の能力ですので、それを責めてもどうにもなりません。人間として生きる心を持つ者は、他を守るだけの能力があるからこそ人間となれるのです。

 この世での役目、能力は、あなたがこの世に生まれる前にあなた自身が納得して決めた者です。できる役、できない役、格好良い役、格好悪い役、ホームレスや犯罪者などまともな生活を送れない役もあります。できる役や格好良い役はだれでもできます。でも、できない役や格好悪い役は、それなりの心でないとできません。一概には言えませんが、できない役や格好悪い役の方が

 いつまで経っても心を良くしようとしない者でも、この世にいる限り悪い心はなくなっていきます。しかし心の大きさはどんどん小さくなっていきます。それはそれで来世はその心に見合う生命体となって幸せに宇宙を生きることができます。人間であることが幸せとは限りません。

 現代科学を理解するにも能力が必要です。でも現代科学というのはこの世の筋書きのために特別に作られたものです。
 宇宙へ出たら波動の科学が全てです。現代科学にはなくてはならない数学も波動の科学にもなくてはならないものですが、数字や記号は使いません。どれだけ現代科学を学んだところで宇宙に出たら役に立ちません。波動の科学を一からやり直さなければなりません。この世ではあなたが必要とするだけ理解できればよいです。それよりも今大事なのはいかに自分の心を高めるかです。

 能力があると言うことは、自分のためにあるのではなく、他のためにあると言うことなのです。自分が得するために能力があるわけではありません。
 人によっては能力があることを偉ぶる人もいます。その逆に能力ない人は能力ある人を偉大に思うことがあります。どちらも間違いです。お互い尊重尊敬しあうことは大切ですが、誰が偉いということはありません。

人間になる者は、人間としての心になるまで大きくしなければいけません。動物であったとしても、心が大きいほど感情豊かな動物になることができます。
 自分の心を今以上に大きくするためには、他の心をもらわなければいけません。でも、誰かが大きくなれば誰かが小さくなるしかありません。これでは困ります。どうすればよいのかというと、


9.役目と能力
 地球人の能力と言うものは、宇宙人の足下にも及ばない低いものです。従って、この世の上に立つものは、この宇宙でそう能力のない者でも上に立つことができます。それと今は筋書きですので、今ある能力がその人の能力とは限りません。「あの人すごく頭がよい人だ。」と言っているあなたの方がずっと頭が良いかも知れません。
 頭の良い悪いだけではありません。運動能力や芸術などの能力も同じことが言えます。自分の本当の能力を精一杯使って、この世での能力としている場合もあるし、逆に本来の能力は発揮せずに筋書きとしてあてがわれた分だけを今の能力としている場合もあります。また、その人にそのような能力がなくても背後霊などが入って来て、その時だけ能力がアップし神業的なことをすることもできます。(反対に、悪霊が入って足を引っ張る場合もありますが。)
 それではこの世での能力・役目は何で決められているのでしょう。

 この世というのは修行の場、順風満帆では困ります。あなたが好むリーダーの下で、いつも不平不満なく楽しく仕事をしていたら、いつまでたってもあなたの心は良くなりません。あなたから見て嫌なリーダーの方があなたの心を修正してくれることになります。嫌なリーダーと思っているだけで本当は良いリーダーなのかも知れません。人それぞれの立場があります。お互いの立場をよく理解することです。と言ってもバランスが

 本当に嫌なことは、あなたの心の変化と共に消滅していきます。何事もあなたの心持ち次第です。

 合法的であったとしても、人に苦しみを与えるような職業に就いておられる方も心は縮小します。でも、そのような方は、それを承知で自分の筋書きを書かれたわけです。自分の心を人のために役立てて下さいという温かい心の持ち主だからこそ書けた筋書きです。

 姿形だけにとらわれている人には、以上の話は理解できないかも知れません。肉体は心の入れ物。こだわらないことです。広く言えば色即是空です。唯心論で物事を考えて下さい。姿形はあくまでもその心あっての姿形です。また、今は筋書き上の姿形です。

 良い性格、悪い性格というのがあります。良い性格を持って生まれれば、人に迷惑をかけることもないし、自分自身も楽に生きられます。しかし、それでは苦労がなくなってしまいます。心を修正するには苦という負荷が必要です。ならば、あえて悪い性格を持って生まれて来た方がよいことになります。そして自分の性格を良く知り、プラス思考できるようになれば、悪い性格も良い方向へと向けることができます。ここで注意して欲しいのは、

 表面的に良い性格であってもその中の心が悪いと何か大きなトラブルがあった時、本性が現れます。日頃綺麗ごとを言っている人でもいざとなるとどうなるか分かりません。人間としての心を持てない者は、窮地に立たされたとき、どうしても先に自分を守ろうとします。でも、それがその人の能力ですので、それを責めてもどうにもなりません。人間として生きる心を持つ者は、他を守るだけの能力があるからこそ人間となれるのです。

 この世での役目、能力は、あなたがこの世に生まれる前にあなた自身が納得して決めた者です。できる役、できない役、格好良い役、格好悪い役、ホームレスや犯罪者などまともな生活を送れない役もあります。できる役や格好良い役はだれでもできます。でも、できない役や格好悪い役は、それなりの心でないとできません。一概には言えませんが、できない役や格好悪い役の方が

 いつまで経っても心を良くしようとしない者でも、この世にいる限り悪い心はなくなっていきます。しかし心の大きさはどんどん小さくなっていきます。それはそれで来世はその心に見合う生命体となって幸せに宇宙を生きることができます。人間であることが幸せとは限りません。

 現代科学を理解するにも能力が必要です。でも現代科学というのはこの世の筋書きのために特別に作られたものです。
 宇宙へ出たら波動の科学が全てです。現代科学にはなくてはならない数学も波動の科学にもなくてはならないものですが、数字や記号は使いません。どれだけ現代科学を学んだところで宇宙に出たら役に立ちません。波動の科学を一からやり直さなければなりません。この世ではあなたが必要とするだけ理解できればよいです。それよりも今大事なのはいかに自分の心を高めるかです。

 能力があると言うことは、自分のためにあるのではなく、他のためにあると言うことなのです。自分が得するために能力があるわけではありません。
 人によっては能力があることを偉ぶる人もいます。その逆に能力ない人は能力ある人を偉大に思うことがあります。どちらも間違いです。お互い尊重尊敬しあうことは大切ですが、誰が偉いということはありません。

人間になる者は、人間としての心になるまで大きくしなければいけません。動物であったとしても、心が大きいほど感情豊かな動物になることができます。
 自分の心を今以上に大きくするためには、他の心をもらわなければいけません。でも、誰かが大きくなれば誰かが小さくなるしかありません。これでは困ります。どうすればよいのかというと、


10.孤独と集団
 本来、人間という生き物は、地球人からは計り知れない能力を持っています。知能もさることながら、その心が発する波動は、一つや二つの星を破壊できるくらいのパワーを持っています。これだけパワーのある心が集団を作ると、惑星どころか太陽系や銀河系まで破壊してしまうこともできます。それが必要なら集団になることもありますが、普段は、意図的な集団を作ることはありません。
 
 実際に肉体を使ってする仕事は召し使いにさせます。人間は管理するだけです。召し使いとは「真実を告げる書」に描かれている人間の形をした生体ロボットのことです。(広い意味では人間もロボットですが。)
 ロボットと言っても心は必要です。この心は、本当の人間であるならば、その人間の

 召し使いは自分の手足となって動いてくれる召し使いだけではありません。伝令のように指示、命令、伝言などを伝える召し使いもいます。俗にいう天使です。

 実と虚の召し使いと自分が三位一体となって、

 独りぼっちと言っても、実際の暮らしは何もかも召使いがしてくれます。あなたの好みの歌を歌ったり踊ったりもしてくれます。話し相手にもなってくれます。セックスのパートナーともなってくれます。(これはオナニーと同じことになります。)姿形は自由に変えることができますので、あきることはないです。

 仕事の場合は一つの目的に向かって一人をリーダーとして他の者がそれに従えばよいのですが、私生活を複数で送ると苦しい結果となります。皆考え方はまちまちです。皆人間として正しい心を持っていますので考え方はまちまちであってもどれも正しいです。


11.波動のやりとり
 この世の常識では、法を犯した者は裁判にかけ、罪の重い者は刑務所に入れて罪をつぐなうのだと解釈されています。でも実際の罪の償いは罪を犯した時点で既に行われています。例えば、

 ボランティアとして無償で人に施しをすることは、お金が介するかどうかだけであって仕事をしているのとかわりません。お金を介する場合は、自分の施し分がすぐに給料などとして返ってくるし、無償で施しをする場合は、後々何らかの形で自分に返ってくることになります。無償で施しをすることを言い換えれば

 欲得もないのに現世で利益を得る人は、前世でそれだけの施しをしていることになります。そういう方は、ありがたいという気持ちも必要ですが、それを断ったり、申し訳ないと思ったりすることはありません。堂々と施しを受けたらよいです。

 前世で施しばかり受けて来た人は、現世ではボランティア活動にいそしむことになります。前世で濡れ手に粟のお金で贅沢三昧の暮らしをしてきた者は、現世では「お金がない」「お金がない」とこぼす毎日を送らなければなりません。食べ物を粗末にして来たものは、食べ物を十分に買えないとか、おいしく食事をとれない体になってしまうかもしれません。自分の体を大切にできなかったものは、不自由な体となって生まれてくるかも知れません。人を殺したものは、現世で何の罪もなく生きていても同じような殺され方をするかも知れません。因果応報です。
 
─自分の今の生き方、それでよろしいですか。改めるところがあれば改めて下さい。来世のために。─

 法律というのは、全ての犯罪行為に対して的確に対応しているわけではありません。罪を犯したと言っても、それが全て罪になるとは言い切れません。むしろ、法を犯していなくても罪を犯している人の方がたくさんいます。人を苦しめることが犯罪と思って下さい。

 特異な例として、スプーンまげなどの超能力を得意になってやっていると、エネルギーは消耗します。それを誇示したりなどで無意味に超能力を使わないことです。本当の人間には、元々そういう能力があります。「このよう能力がありますよ。」と明示するのはかまいません。
 
 他に、セックスを遊びとしたり、卑猥なものとしたりすることも心を縮小します。


12.波動の科学
 この本をここまで読まれた方は、波動の科学がおおよそどのようなものかお分かりになられたかと思います。物事を科学的に見ることは非常に大切なことです。もう一度ここでおさらいの意味も含めて波動の科学の概略を説明していきたいと思います。

 波動とは、形あるものないもの全てのものの根源です。現代科学をよく見ると物質そのものの存在、物質的に作用する力、法則、さらには時間や空間は、元々あるものとして成り立っています。このような科学ではそのようなものの存在の解明はもちろん、それらの法則に従わない事実現象は、全く説明することができません。

 心の構造上、今ある以上にメモリが開けない、言い換えれば考える余地がない者や心が素直でないがために今までのことを打ち消し、新しいことを素直に受け入れることができない者は、理解できないことになります。前者は苦しみに耐え、心を大きくしなければなりません。後者は素直な心になるよう自分を戒めなければなりません。それができない者は放っておくしかありません。それはそれで幸せな心となります。

 私たちの日常生活の中で平然と行われていることが、実は全くおかしなことだと気付くことはありませんか。逆に、これはおかしい、こんな馬鹿なことはないと思うことが真実だということもあります。今ある現象・事象にこだわらず、真実を受け入れることのできる心になるよう努力して下さい。

─これを難しく言えば「色即是空」の境地になりなさいということです。─

 波動というものを介さずに、時間と空間を直接作ることも可能ですが、これでは時間と空間は、固定されたものとなってしまいます。時間と空間の波動から、様々な時間と空間を作り出すことにより、一つの宇宙の中に無数の世界を作り出すことができるのです。この宇宙を永遠に飽きることなく生きて行くために、そして、心のレベルが違っても同様の楽しみを得るためには、そのような仕組みを作っておかなければなりません。それが波動の科学の基本なのです。そして時間と空間の二つの波動は、宇宙の中心から発せられるものと思って下さい。

 でもちょっと待って下さい。物質を作ると、それをコントロールするために様々な要素が必要になって来ます。まず物質相互に作用する引力や磁力などの力が必要になって来ます。そして、それらを意味付けするデータを乗せなければなりません。とすると波動の数は全部でいくつになりましたか。

 そう、宇宙の中心からは7つの波動が発せられているのです。

 ということでできた一つがこの地球です。と言っても私たちの住む地球の自然は、この宇宙の中でもっともできが悪いです。さらに、その自然を破壊する地球人は最悪です。相手より先に自分を守ろうとする余り、自分達の住む基盤となっている地球の自然そのものを駄目にしています。
 と言っても修行の場としては、宇宙の中で最高のところです。今しばらくはこの地球で修行しましょう。そして修行が終われば地球も他の星と交流できる良き星としましょう。
 そうなのですが、今の地球を見ていると、いつまでこの自然が保たれているか分かりません。このままでは地球上にある全ての生命が消滅してしまうでしょう。でもご安心下さい。月や火星のような索漠とした星になっても波動を変えれば、再び緑豊かな自然が蘇ります。しかし、一旦はこの地球から退避しなければいけません。

 ここで理解に苦しむことを述べます。波動のレベルというものがあります。波動をどの程度使いこなせるかということです。地球人は、波動があることすら知っていませんので、当然、最低ランクです。 
 波動のレベルが高いと、どういうことができるかというと、皆さんの興味のあるUFOを作り、宇宙空間を自由自在に飛び回ることができます。UFOと言っても波動のレベルにより、その機能には大きな差があります。他には超能力と言われるような能力を日常茶飯事に使うことができます。乗り物なしで空を飛んだり、重いものを軽々と運んだりすることができます。
 ここまでは、この本を読んでおられる方なら誰でも理解できると思います。理解できないのは、波動のレベルを変えると別の世界となってしまうことです。例えば

 地球に住むエロヒムは、今は海底や地底で暮らしていますが、その生活区域だけ波動のレベルを変えています。浦島太郎の話で分かると思いますが、私たちが地球に住むエロヒムと何ヶ月か一緒に暮らしたとすると、地上に戻ったときは、何十年という時間が過ぎています。

 宇宙人が別の星へ移動する時は、その星の波動に合わさなければいけません。高いレベルの宇宙人はそれより下のレベルの波動なら、どの星の波動にも合わすことができます。その反対に自分よりレベルの高い波動には合わすことができません。従ってその星に行っても、見る物は親神様が作られた無地の状態の星を見ることになるだけです。
 地球人は最も下のレベルの宇宙人ですので、この宇宙をどんなに探しても宇宙人やUFO、それどころか単細胞生物すら見つける事はできません。あなたがUFOを見たとしたら、それはあなたに見えるように、地球の波動に合せてくれたのです。

─その星の波動に合せること、これが本当の「波動合わせ」なのです。─

 従ってテレパシーにはこの宇宙のどんな心にも共通して使えます。生命体ではない全く機械的なコンピュータであっても、有と無の状態を言語にしていればキーボードなどを使わずテレパシーだけでやりとりできます。言語が一緒であれば程度の差こそあれ何とでも会話できるということです。花や虫や鳥とでも、自分の体を作っている60兆個の細胞の心とも会話できるわけです。
 テレパシーを聞くためには、

 私がオーラを見えるようになったのは「あなたにもオーラが見える」という本の通りに訓練してからです。しかし、この本は絶版になっています。これは、この本に書いてある内容をもう他の人は知らなくてよいという意味です。しかしオーラを見る必要はありますので、その方法だけは紹介しておきます。

 見えるものには、惑わされやすいということを念頭に入れておいて下さい。姿形では、そのものの本質を見抜くことはできません。姿形は化身することにより、いかようにも変えられます。姿形はまったくあてになりません。あなたの目の前に絶世の美人が、あるいは星の王子様のような人が現れたとしても、その心は人間でないかもしれません。虚であろうが実であろうが、その姿形だけで物事を判断しないで下さい。

 現代科学は波動の科学の一部です。というより、この世の筋書きのためにと特別に作られた科学です。特に物質を合成して新たな物質を作り出すということは、波動の科学では極力避けます。
 生命体というものは今ある自然の中で育み維持できるように作られています。自然にあるものに化学変化を与え新しいものを作り出しても、ほとんど生命体に害あるものとなってしまいます。新しい物質を作り出す時は、波動を合成して作り出します。波動を使えば何もかも思いのままに作り出すことができます。この地球の自然を作り出したのも波動の科学です。そしてもう一度地球の自然を作り直すのも波動の科学です。現代科学では不可能です。

 波動の科学は非常に奥深く、この地球の自然を作ったエロヒムでもまだまだ理解できないものです。この宇宙で波動の科学を完全に理解できたものは、まだ数える程です。波動の科学は、この宇宙を楽しく飽きることなく永遠に過ごせるように作り出されたものだからこそ、そう簡単に理解できるものではないということです。

 以上、波動の科学というものがどのようなものなのか概略を説明しました。波動の存在そのものは、いずれ筋書きとして発見される時が来ます。行く行くは、何もかも分かってくる時が来ます。でも、それを目の前に見せられてもまだ信じられない者もいるでしょう。多くの混乱が予想されます。現代科学だけがすべてと思っている者、特に科学者には、大きなショックを与えるでしょう。また地球人を二分化する要因にもなるでしょう。


13.筋書きの矛盾
 私が、この世が筋書き通りに動いていることを知ったのは、平成元年のことです。
4月21日に覚醒し、しばらくしてから「この世はすべて筋書きです。」と上から教えられました。そして平成10年に「生きがいの創造」という本を知ることになりました。この本のお陰で全ての方に「間違いなく筋書きですよ。」ということができるようになりました。
 そんな私でも本当に筋書きであるかどうかわからなくなるような苦しみを、何回も経験して来ました。それでも上から言われることを信じ、耐えに耐えやって来ました。普通に考えたら絶体絶命と思われるようなことも、思わぬ方向へ好転し、後から見るとやっぱり筋書きだったと苦笑することが何回もありました。そんなことを何回も経験していると、どうなってしまうか分からないようなことでも、これは筋書き、時期が来れば必ずよい方向へ向かうのだという強い確信が根付いて来ます。
 この世が筋書きと分かり、そしてそれが自分が書いたものと分かるならば、後は自分を信じればよいだけです。「信じる者は救われる。」と言いますが、何を信じるのかと言えば自分を信じればよいわけです。自分を信じられない者は人間になってはならないと言うことです。神を信じることも大切ですが、神は人間に「神と同等の心を持ちなさい。」と言っています。神と同等の心なら自分を信じることは神を信じることと同じです。でも、それは幾多の苦難を乗り越えて得られるものです。これからやってくる多くの惨事は、そのためにあるのです。嘆くどころか与えてもらうことを感謝すべきなのです。
 
 筋書きだと分かり、最初の頃とても悩んだことがあります。それは


14.無の矛盾
 私たちは生まれた時から時間、空間、そして物質のある中で生きています。生まれた時から周りにあるものは、あって当たり前のように思っています。ところが全く見知らぬもの、でき事を見ると驚いたり不思議がったりするものです。でも、それが生まれた時からあるものなら、理解できなくても何とも思わないものです。

 テーマ“恋愛”で述べていますが、物質も時間も空間も作られたものです。物質も時間も空間もない状態が本当なのです。この何もない状態を想像できますか。全く何もない状態です。何も無い、何も無い…
 本当に何も無いですか。何かおかしいことに気付きませんか。

 というより無は、もともとコンピュータそのものだったのです。それも、この世のコンピュータと違い、自起動(自己認識)できるコンピュータだったのです。

 6つというのは理論上どうしても必要な数で、それに自分を加えた7という数字は、「真実を告げる書」にも書いてあるとおり、すべての物事の基本となっています。

 ここで大事なことは、自分で自分を守ることはできないということです。お互いがお互いを守ることにより、自分が存続できるのです。自己を保存しようとするとどうなるかは、この世を見たらお分かりと思います。

 さて、このようにしてできた神々は、不具合を修正し心を大きくするために肉体・宇宙を創造し、その上で陽気に楽しみながら時々苦を混ぜて自分達を完璧にしていったのです。完璧になった段階で、いよいよこの宇宙を作り人間を創り出していったのです。この続きはPart5[時間と空間]にてお話します。


15.エトセトラ
1.正しい答えと間違った答え

 子供はなぜ産む。              
 なぜセックスする。
 なぜ食べる。   
 なぜ仕事する。   
 なぜ遊ぶ。    


2.詭弁
1.ラジオで聞いたヨットマンの話。
2.ラジオで聞いた数学者の話。


3.この世の霊

霊の定義:肉体を持たず、心のままで存在すること。
     つまり、あなたも死んで心だけになれば霊となる。

霊の種類
 1.人間界に
 2.死んでも
 3.霊界に
 4.背後霊:あの世の
 5.守護霊:あなたの
 6.他に、妖怪、妖精、

 妖怪・妖精には、様々なものがいる。どちらも実ではなく虚である。妖怪は気持ちが悪く怖い者と、逆に愉快、楽しい者がいる。一般的に妖精は美しく妖怪は滑稽味があるが妖精も妖怪も本質的には同じものである。妖怪は人に憑いて悪さをすることもあるが、どちらかと言うとイタズラが多い。愉快なもの、怖いもの、気持ち悪いもの、人にイタズラするもの、人を助けるもの、人に悪さをするもの。でも、波動が違うから普段は見ることができない。

 鬼には、一本角と二本角がいる。一本角はちょっと弱い。
 鬼は恐そうに見えるが、臆病な所もある。相手が自分より強そうと思うと逃げ出してしまう。鬼には赤鬼、赤鬼の子供、青鬼、青鬼の子供、天の邪鬼、般若がいる。
 赤鬼は元気いっぱい。陽気であるが、どう猛である。赤鬼の子供は

 鬼・悪魔や妖怪・妖精は人に憑くだけでなく、地球人として生まれて来ている者もいる。でも地球人として生まれて来ているということは、修行に来ている訳である。皆仲良く修行しているのである。
 動物も地球人として生まれて来ている者もいる。また同じく修行である。仲良く修行しましょう。

※妖精はよいのですが、魑魅魍魎・妖怪・鬼とか言うと憎悪を感じてしまうものです。ここでは皆友達という感覚で述べていますので差別・誤解のないようにお願いします。


4.会話
1.嘘をつく
2.地球の温暖化
3.ギャンブル
3.ロールプレインゲーム


16.終わりに
 平成16年(2004年)3月頃でしたか、アメリカ国防相の地球温暖化レポートが暴露されて話題になったことがあります。

作物が取れなくなり、食料危機が起こります。

 この話が本当なら(遅かれ早かれいずれはそうなりますが。)そろそろ食料危機に備えて準備をしなければなりません。食料危機が本格化すれば、お金の価値は全くなくなってしまいます。いくらお金があっても食べ物がないわけですから買いようがありません。賢明な方は、どうすればよいかはもうお分かりだと思います。

2015〜2020年頃には、現代科学最高の時を迎えます。世紀の大発明もされ、エネルギー革命も起きているでしょう。波動の存在も証明されているかも知れません。有頂天になる者もいるでしょう。でも今は来るべき時に備えてこつこつとお金を貯めて下さい。

 温暖化レポートやジュセリーノの話が本当であれば、2020年頃に準備を始め、2025年頃には完全自給自足できるようにしておくとよいです。それと、この自給自足は半端なものではありません。何も手に入らないことを前提にしておかなければなりません。今はそのための資金を用意する時です。今、アリとなるかキリギリスとなるかです。(どちらがよいと言う意味ではありません。今どうあるべきかと言うことです。)

 どれだけ用意周到、準備万端整えても、現代文明の最後は来ます。どうにもならないときが来ますが、最後は信じられないようなことが起こります。最後まで生き残った者は全員救われますのでご安心下さい。
 最後まで生き残るのに最も大切なことは、人間として正しい心持ちになるよう日々心の向上に努めることです。Part4[心]はそのためのテキストです。

―人間として正しく生きる者を神は見捨てるわけがありません。―